氷川神社(赤坂氷川神社)
享保15年(1730年)4月、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。週末だった、お詣りの為の列が結構長くなっていた。
赤坂氷川山車
江戸時代には「江戸型山車」と呼ばれ、徳川将軍の上覧に際し、江戸城の城門をくぐる為に上段の人形をカラクリで上下させていた。大絵馬には、山車13本が描かれていたが、山車祭りの衰退や関東大震災や東京大空襲の被災で、山車から神輿に変わって行ったのだそう。都内23区から殆ど山車はなくなったが、この氷川神社では山車人形が9体残っていたとのこと。愛知や岐阜のお祭りではカラクリの山車が当たり前だったのに何故東京はないのか、ようやくわかった。
境内には、四合稲荷(しあわせいなり)も。明治31年(1898年)に4社を合祀したことによると。
雑司ヶ谷鬼子母神堂
大門ケヤキ並木
江戸時代後期には、将軍もやってくるほど賑わっていて、参道には茶店や料亭があったのだそう。ケヤキの大木の並木が続いていたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は4本あるのみ。
この界隈は、都内でも珍しい都電荒川線が走っているエリア。新宿の高層ビルを背景に1両の車両が走っている。かつては40路線ほどあったそうだが、現在は三ノ輪橋から早稲田までの1路線のみ。
路面電車として車と一緒の所を走るエリアでも、警報音は鳴るものの、遮断機などが車道にも歩道にもないのには驚いた。
普段はあまり行かないエリアなので、ちょっと目新しい散歩となった。
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