コニーアイランドの東側に位置するロシア人街として有名な Brighton Beach ブライトンビーチへ。

夏は海水浴客で賑わうこの海岸、今日はお昼間でも摂氏1度で体感気温は氷点下という気温だったが、さすがロシア人、海岸のベンチでチェスをするおじさんや、海岸沿いのボードウオークをそぞろ歩く人達が結構いた。
女性は毛皮を着ている人が多い。マンハッタンでは5番街やマディソン街の所謂ブランド通りなどで良く毛皮のコートを着て颯爽と歩いているレディを見かけるが、この街では毛皮はコート感覚のようで、ミンクやムートンの毛皮を着ながら八百屋さんやデリで買い物をしていて、場所柄が出ているように思われる。
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ブライトンビーチアヴェニューには、ロシア語表示のお店が立ち並び、総菜屋さんのみならず、キャビア屋やウオッカを扱った酒屋さんなどがあって面白い。
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      のきなみロシア語での表示 ロシアのルートビアといわれる炭酸飲料「クヴァス」   

色々なお店のお惣菜が楽しめるが、さすがイクラ(レッドキャビアと言う)の品揃えが凄い。グレードが分かれていて量り売りをしているお店もあった。
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スーパーや総菜屋などいずれも混んでいたが、不思議に感じたのは、同様の人数の客達がいた場合マンハッタンのアメリカ系総菜屋や中華系、ラティーノ系、いずれももっと店内の客が口々にうるさいが、この街のお店では何処も比較静かな印象を受けた。

後記:
アッパーイーストのお金持ちのアメリカ人の知人にこのエリアに行ったと言ったところ、ロシアギャングの居るエリアだよ…と驚いていたので、おばあさんの代にロシアからやって来たというユダヤ系の60歳代のアメリカ人の知人にこの街について教えてもらった。
100年以上前はもともとここはユダヤ人の街で、ヨーロッパ各地からやって来ていた。しかしその後、ロシア系ユダヤ人が多く移り住むこととなって、ロシア人の街となったが、もともとロシアでも低層クラスの学のない人達が最初に住んでいた。彼らの子供や孫たちはこの街に住まず、ニュージャージーやクイーンズに移り住み、一種の過疎化が進んだ。後に、旧ソ連政府から政治的に弾圧を受けた教育のある人達が入植して来た。しかし現在でも、中流以上のロシア人はこのブライトンビーチのイメージは低層クラスの人達の住むエリアとなっていて、住みたがらない。
毛皮などゴージャスな格好をしていたが?と私が言ったところ、低層クラスの人達ほど、派手な配色の服装であったり毛皮を好んで着るとのこと。