今年は今日の未明の2時AMからこちらはサマータイムが終わり冬時間。
そんな初日に第38回を迎えるNYシティマラソンがあった。今年の参加者は約39,000人。
スタッテンアイランドを出発し、ヴェラゾノブリッジを渡ってブルックリン、クイーンズ、そしてクイーンズボローブリッジを渡ってマンハッタンに入り、1番街を北上して一旦ブロンクスに入った後、南下して再度マンハッタンに入り、セントラルパークでゴールを迎えるという、ニューヨーク市の5つの区(ファイヴボロー)を走る恒例のコース。
昨年同様、クイーンズボローブリッジ界隈で観た後、セントラルパークに移動して観戦した。

アメリカ人の北京オリンピック出場選考会は昨日行われているので(別コース)、アメリカの有力選手は出ていない。
今回の注目は女子。10か月前に出産したばかりのイギリスのポーラ・ラドクリフ選手が2年ぶりのマラソンに臨んだ。
ハンディキャップの選手や車椅子選手のスタート後に、女子の招待選手だけは、男子の招待選手と一般参加選手よりも先に走る。

20キロ地点近くのクイーンズボローブリッジをクイーンズ方面から渡って降りて来たカーブの所では、女子のポーラ・ラドクリフ選手とエチオピアの Gete Wami 選手が先頭を形成。
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女子選手達がマンハッタンを北上しブロンクスまで行って戻って来ている間に、我々はセントラルパークに移動。昨年は11月5日に開催され丁度紅葉の見頃だったが、今年は10月が観測史上最高タイの温かい10月だった為、紅葉はほんの少しと言ったところ。
セントラルパークでは、40キロ手前の地点で観戦。最後のセントラルパーク内での坂道を上がりきり、40キロ地点の表示が見える、選手としては後2キロちょっとの地点。
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左:1位ポーラ・ラドクリフ(英)2:23:09 右:2位 GETE WAMI(エチオピア)2:23:32   3位 Jelena Prokopcuka (ラトビア)2:26:13

しばらくして男子の有力選手がやって来た。結果として3位になったラマーラ選手は後続の選手をとても気にしていた。
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左:2位 Abderrahim Goumri(マリ)2:09:16 右:1位 Martin Lel(ケニア)2:09:04   3位 Hendrick Ramaala(南アフリカ)2:11:25

一般参加選手の中には知り合いも居たので応援。知人のうちの一人は初マラソンで3時間丁度という記録を出していた。
セントラルパークの最後の坂道界隈では「SMILE」と書かれた横断幕の上からカメラマンが写真を撮っているので、ランナー達はへとへとでも笑顔を見せるという心憎い場所も。
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車椅子には自転車などの並走がつく場合も多いが、高齢者などの場合は上り坂でボランティアによって車椅子を押してもらっている光景もあった。
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マンハッタンの 1st avenue の給水所界隈では、それはそれは凄い量のゴミだらけ。一般参加選手のスタートから7時間後に、それを何台もの清掃車が掃除をして行く。
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その清掃作業の横を、義足のランナーとして有名な島袋勉さんがやって来られた。
本来ならハンディキャップ選手として早いスタートが切れるところ、登録の手違いで一般選手と同じスタートとなり、加えて新しい義足に変更されたところ合わないとのことで、中間地点を若干超えたあたりで7時間以上経過していた。(昨年は8時間台で完走されたとのことだったが)
伴走の方は、一般選手などが走りながら食べたバナナの皮が落ちていないかどうか、道路の段差などをあらかじめチェックして伝えるなどされていた。
道行く人も、暗い中を伴走の方々と頑張っておられる島袋さんを見ると、「Keep going!」と拍手と共に声援を送っていた。
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道路はある程度の時間で通行止めが解除される為、後は歩道を走ることにはなるが、時間制限が全くないこの大会。
何でも、一泊して翌日ゴールにたどりつくのを恒例としているオバサマ選手もおられるとか。

後記1
10か月前に娘を出産したばかりのラドクリフ選手が優勝、かと思えば前日の北京オリンピック代表選考のレースでは28歳のライアン・シェイ選手が肥大型心筋症(マラソンランナーには良くある)でレース中に死亡。紙面には、生と死というようなタイトルの新聞もあった。

後記2
翌朝の NY POST 誌や DAILY NEWS 誌は一面がトム・クルーズ夫人のケイティ・ホームズが5時間半で完走したことだった。

後記3
総志願者数約9万人、世界中で300億人以上がテレビ観戦していると言われており、今年の完走者は3万人を超えた。