アレサ・フランクリンのコンサートのチケットがあるが、都合で行けないので代わりに行ってくれないかと急遽友人に言われ行くことに。
ラジオシティミュージックホールでのコンサート。
もともと今回は3月22日(土)の一回限りのコンサート予定だったがチケット完売により、追加公演が前日である21日にも行われることになったとか。

1 画像HPより
アレサ・フランクリン Aretha Franklin とは wikipediaより
ソウル歌手の中でも、サム・クックと共にひときわゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており、“クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つ。
1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。1987年に女性としては初めてロックの殿堂入りを果たした。
グラミー賞受賞は女性最多の17回。

2003年に発表したアルバムを最後に引退を表明したらしいが、現在はそれを撤回して音楽活動をしている。
本当に巨漢で、ソウルのクイーンという堂々の雰囲気。
衣装がマーメイド型のロングドレスだったこともあり動きにくかったと見えて、1曲歌ったところでバンドを指揮していた男性に靴を脱がせてもらっていたり、ピアノの弾き語りをする時も椅子に座るのが大仕事で、ピアニストの人に手を貸してもらったり。
しかし身体の動きはともかくとして、3日後には66歳となるとは思えない迫力の歌唱。
途中息子さんが登場してヒップホップを2曲披露した時には舞台袖に入って休んでいたようだが、基本的には休憩はなくずっと出ずっぱりで、デュエットの2曲や自らのピアノによる弾き語りも含め、エンターテイナーを感じさせた1時間35分。
明日がイースターサンデーということもあって、"Amaging Grace" をデュエットしてくれ、最後の歌もイースターパレードに因んだ歌詞に変えていたり、イースターボンネット(帽子)を持ってのカーテンコールだったり。
バックコーラスの女性のうちの一人は、シシー・ヒューストンで、あのホイットニー・ヒューストンのお母さんが務めていた。(画像右のコーラスの左から2人目)
客層はもっとアフリカ系の人が多いのかと思っていたのだが、8割がたは白人。
若い人も居ることは居るが年齢層が全体的に高く、50歳代ぐらいが多い。隣に座っていたおばさまは、4曲目あたりで何か思い入れのある歌だったのか、ボロボロ感激して泣いていた。
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トニー賞の受賞会場ともなるラジオシティミュージックホールは、客席数は 5,933席をほこり、ロックフェラー氏が当時この地所の所有者だったコロンビア大学から土地を借りてメトロポリタンオペラを誘致すべく計画したが、折悪しく1929年の大恐慌で頓挫した。
1933年に映画館としてオープンし、当時では世界一大きな映画館だった。1980年には、改装されコンサートやライブステージのホールとなった。
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 飲み物には暗くても見える蛍光のマドラー付      ホールはアール・デコの雰囲気
ホール内のバーでカクテルなどを買って席まで持って来ることが出来、コンサートの途中でも随時席を立って飲み物などを買って飲みながら聴くことが出来る。
また、コンサート中もフラッシュをつけてのカメラ撮影も全く問題なく中には録画している人もあり、以前 ザ・ポリス のコンサート時でもそうだったが、それはスタジアムで行われたからかと思っていたがそうではなかったようだ。
観客はそれぞれの方法でコンサートを楽しむと言った印象。