今回のこのワグナーの「トリスタンとイゾルデ」は本当に何が起こるか分からず、厄払いをした方が良いのではないかと思えるようなアクシデント続き。
ワグナー歌いとしてテノールのベン・ヘップナーと、ソプラノのデボラ・ヴォイトは有名だが、未だ組んだことがなく、今回はドリームマッチングと言われていた。

6回公演の予定だったが、まずヘップナーがウイルス感染及びアレルギー発症とのことで最初の4公演を降板。
1回目の公演(3月10日)に、ヘップナーの代役として立ったジョン・マクマスターは観客からはブーイング。
2回目の公演(3月14日)では、テノールはゲイリー・リーマンに変わる。ソプラノのヴォイトが2幕目の途中で腹痛を訴え降板し、10分程度のウオーミングアップだけで代役のジャニス・ベヤードが立つ。
観に行った友人は、予定終了時刻が11時55分だったが、このアクシデントで終わったら12時半を回っていたと言っていた。
3回目の公演(3月18日)では、ソプラノはヴォイトが復活、リーマンとの再チャレンジとなるも、今度は3幕目冒頭でリーマンが、勾配のある舞台で仰向けに寝た状態で頭を下にして徐々に客席にスライドしていくシーンで、勢い余り舞台正面のプロンプターに滑り落ちてしまうというアクシデントがあり、医師の診察後、問題ないとのことで再度歌うことになった。ぶつかった時、相当凄い音がしたとか。
4回目の公演(3月22日)は日本を含む世界に映像を配信する撮影日だったので、この公演の為だけにロバート・ディーン・スミスが招聘されてメトデビュー。
5回目の今回(3月25日)はようやく晴れて、もともとのスタメンであるベン・ヘップナーとデボラ・ヴォイトと楽しみにして行ったところ、パンフレットに白い差し込みスリップが。。。
見ると、デボラ・ヴォイトが病気の為、2回目の公演で急遽代役に立ったジャニス・ベヤードとのこと。
残る6回目(3月28日)の公演ではヘップナーとヴォイトの共演が実現するのかどうか、いきなり指揮者のレヴァインが降板、、、などというオチにならなければという綱渡りのシリーズとなった。
• March 10: Voigt and John Mac Master
• March 14: Voigt, replaced by Baird during Act 2, and Gary Lehman
• March 18: Voigt and Lehman (he slid into the prompter's box in Act 3, but resumed the performance after a brief pause)
• March 22: Voigt and Robert Dean Smith
• March 25: Baird and Heppner

そんなこんなで、終わった時には、舞台上では指揮者レヴァインからヘップナーはしっかりハグされ、ベヤードは両頬にキスしてもらうという大賛辞だった。

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by Richard Wagner's
Libretto by the composer
指揮 : James Levine

若い水夫の声(テノール) A Sailor's Voice : Tony Stevenson
イゾルデ(ソプラノ)アイルランドの王女 Isolde : Janice Baird
ブランゲーネ(メゾソプラノ)イゾルデの侍女 Brangane : Michelle DeYoung
クルヴェナール(バリトン)トリスタンの従者 Kurwenal : Richard Paul Fink
トリスタン(テノール)マルケ王の甥であり忠臣 Tristan : Ben Heppner
メロート(テノール)マルケ王の忠臣 Melot : Stephen Gaertner
マルケ王(バス)コーンウォールの王 King Marke : Matti Salminen
牧人(テノール) A Shepherd : Mark Schowalter
舵手(バス) A Steersman : James Courtney

1 NPRのHPより

7時開演で終了予定時刻は11時55分という長丁場。
スタミナも大切なこのオペラだが、最初からヘップナーもベアードもパワフルでとても良かった。
ヘップナーは最後の三幕目で一瞬声が裏返りかけたが何とか抑えて乗り切っていた。彼はソロで聴くにはとても綺麗な声で聴きごたえを感じるが、べアードと一緒にデュエットをした2幕目で二人が声を張り上げオーケストラも盛り上がる時には、べアードの声は届いてくるが、ヘップナーの声は聴こえないことが多く、声量ではベアードが勝っているような印象。

カーテンコールで拍手が結構多かったクルヴェナール役のフィンクだが、どうも好きになれなかった。3幕目ではとても良いように感じたが、1幕目では何だか荒削りな感じで声が通らない時も。

ブランゲーネ役のミシェル・デヤングは、今期は ワルキューレ で観たが、この演目の方が出番も多く断然存在感があり、見せ場がたっぷり。彼女は今回の目玉キャストの一人でもあるが、あくまでも私の好みだが、あまり彼女のまろやかな声は好きにはなれず。この役をジャジックがやったら面白い?などと一人思ってみた。

王様役のサルミネンはおん年62歳とは全く思えない素晴らしい声量で、重厚感があり、役にぴったり。存在感があって非常に良かった。

今期、10月5日に公演されたランメルモールのルチア で、マリウス・クイーチェン Mariusz Kwiecien が体調不良で3幕目を前にして降板し、急遽カバーのステファン・ガートナー Stephen Gaertner がいきなりのメトデビューとして代役で立ったがなかなか出来が良く、観客からも暖かい拍手が送られていた。そのお陰か、今回のこのプロダクションではしっかりとメロート役だったのは、偶然デビューを観ただけだがこちらまで嬉しくなった。
あいにく、代役で出たエンリコ役の方がずっと歌う場面が多く、今回はほんの少しの歌だけだったのが残念だった。

舞台はいたってシンプルで動きがほとんど言って良いぐらいになく、ライティングに頼る部分が多いが、愛の妙薬を毒薬と思って飲んでしまったトリスタンとイゾルデが、はたとお互いを見つめ合うシーンでいきなりライトがピンクになった時は会場からは失笑が。
2幕目の二人が逢引(ベッドイン)という場面は、あくまでも二人のシルエットだけを映し出して延々と二人の歌が続くのは面白い試みかと。
三幕目の最後、イゾルデのアリアである「愛の死」を歌いあげるが、イゾルデは未だ死んではいないままでカーテンが下りて終幕となるのだが、その幕の前に右には王様、左には侍女のブランゲーネが立ったままで暗転になるという終わり方も面白い。

それにしても、最後までスタミナをきらさずに熱演していたベアードが良かったかと。2幕目の最初のマルケ王妃となったイゾルデ役のベアードの声は、狭いカバーされたスペースで歌っていた為か、良く聴こえなかったが、3幕目の最後では死んだトリスタンを抱きながら一緒に死を選ぼうとする時の苦悩の表情や笑みが漏れる表情が豊かで良かった。さあ歌うぞという時に、時々唇を舐めるのはあまり観ていて好きではないが。。。

最後のカーテンコールでは、指揮者のレヴァインが舞台袖で彼女に呼んでもらうのを待ちうけているが、出演者皆が終わったという開放感や満足感からか歌手達だけで手をつないでの挨拶を行い、プロンプターがレヴァインを呼びに行くよう指示を出したようで、慌ててベアードがレヴァインを呼びに行き、ヘップナーや王様役のサルミネンも自分達も指揮者を呼ぶのを忘れていた!と笑いながらの表情をしていたのが面白かった。
もともとのキャストで、ようやく病気から回復して今回初めて歌ったヘップナーに対してよりも、ベアードへの拍手が物凄く、終了したのは深夜の12時10分だったが5分もスタンディングオベーションが続いたのが印象的。

受け売りの備忘録
ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク (Gottfried von Strassburg) の騎士道本「円卓の騎士」よりワグナーが脚本を作ったが、本来の「トリスタン伝説」では、イゾルデは二人存在する。
マルケ王に追放されたトリスタンは「白い手のイゾルデ」と結婚するも、マルケ王妃の「金髪のイゾルデ」が忘れられず、「金髪のイゾルデ」がトリスタンに会いにやってくる際に「白い手のイゾルデ」が嫉妬し、トリスタンは「金髪のイゾルデ」に会えずじまいで死んで行くという筋書き。

「トリスタン伝説」では、トリスタンとイゾルデの恋を知っている侍女のブランゲーネが、イゾルデの代わりに、マルケ王の寝室にイゾルデのふりをしていき、マルケ王は気付かない。ワグナーでは、王がイゾルデに近寄らないのは彼女への畏敬の念の為だと歌詞で説明し、寝室を共にしていないことを暗示しているに過ぎない。

因みに、ワグナーとコジマの間に出来た子供を「イゾルデ」と名付けているが、未だ他の人と結婚していたコジマとの間に出来た不倫の子供。
一方、「トリスタン」という言葉には「悲しみの子供」という意味がある。

1857年~1859年に作られたが、その当時はワグナーは政治犯として追われており、チューリッヒに逃れ、そこでオットー・ヴェーゼンドンクという裕福な商人にパトロンとなってもらう。当時、ワグナーにはミンナという妻が居たが、ヴェーゼンドンク夫人であるマティルデとワグナーは不倫の間柄だったとも、叶わぬ恋の相手だったとも、ワグナーに作品を作らせる為にヴェーゼンドンクが自分の妻であるマティルデをワグナーに提供したとも言われており、その題材がこの「トリスタンとイゾルデ」に反映されているとのこと。

前奏曲の冒頭にある調性の曖昧な和音はトリスタン和音と呼ばれる。