オペラシーズンも来週で終わるのだが、終盤にモーツアルトの作品が2つ配されているので、そのうちのひとつを観に行った。

主な役柄は
 男性: 皇帝、友人のセスト、そのまた友人のアンニオ、近衛のプブリオの4人
 女性: 先帝の娘ヴィッテリア、セストの妹のセルヴィリアの2人
となるはずだが、セスト役はカストラート(声変わりをしていない男性)か女性が男性の役を演じる所謂ズボン役、アンニオもズボン役となっていて、つまり、皇帝と近衛以外は、男性のふりをした女性2名を含んだ女性4名で構成されている。
何故そう設定したかはモーツアルトの趣味なのか、当時の観客のニーズだったのか、はたまた別の理由があったのかは、私にはわからないが。
今日はラジオ放送の収録日だったが、果たして音だけでこの女性4人の声が聞き分けられるのだろうかと素朴な疑問。
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by Wolfgang Amadeus Mozart
Libretto by Caterino Mazzola after Petro Metastasio

指揮:Harry Bicket
ローマ皇帝ティート(テノール)Tito, emperor of Rome : Ramon Vargas
ヴィッテリア、先帝ヴィッテリオの娘(ソプラノ )Vitellia, daughter of the emperor Vitellius
  : Tamar Iveri
セルヴィリア、セストの妹でアンニオの恋人(ソプラノ)Servilia, Sesto's sister, in love with Annio
  : Heidi Grant Murphy
セスト、ティートの友人でヴィッテリアを愛す(メゾソプラノ)Sesto, Tito's friend, in love with Vitellia
  : Susan Graham
アンニオ、セストの友人でセルヴィリアの恋人(メゾソプラノ)Annio, Sesto's friend, in love with Servilia
  : Anke Vondung
プブリオ、近衛隊長官(バス)Publio, advisor to Tito : Oren Gradus

一幕目で、主役ではないがアンニオとセルヴィリアの愛の二重唱がこの作品では非常に綺麗ということだったが、セルヴィリア役のハイジ・グラント・マーフィーの声は綺麗でも音量がなく、アンニオのズボン役のアンケ・ヴォンドゥングも頑張ってはいるが、グイグイひっぱれるほど強くないように感じられ、弱い二重唱のような印象を受けた。
やはり良かったのは一幕目第9場のセストのアリア「私は行く」だった。女性歌手が顔中をあそこまで汗まみれにして熱唱しているのは初めて観た。
観客も引き込まれ、歌い終わってからのブラバーと声が飛びつつ拍手がなかなか鳴りやまなかった。

二幕目で、皇帝ティートがセストに審問し、セストが第10場で聞かせるロンド「この今のときだけでも」がとても良い。ティートが男泣きをして涙をぬぐうシーンまであるほど。
セストがティートの肩に頭を置き歌うシーンが印象的だが、果たして本当の男性同士だった場合、そのように頭をもたれかけさせるかどうか、ズボン役の女性だからその心の葛藤を感じさせるシーンになっているのではないかと思えた。
1 HPより

今日のラモン・ヴァルガスは、最初のコロラトウーラは何だか歌いづらそうに感じてしまったが、男性の声だとそう聴こえてしまうのだろうか。

ヴィッテリア役のタマール・イヴェーリの第15場のロンド「花の美しいかすがいを編もうと」で好演し拍手を多くもらっていたが、低い音程の部分はソプラノにしては低いので地声のような部分があり、それはそれでより説得力のある歌になっていたように感じたが、私はこの演目を聴いたのは初めてなので、他のソプラノの人達はどのように低音部を表現しているのかと興味がわいた。

最後のカーテンコールでは、皇帝ティートがタイトルロールなだけにトリをつとめていたが、やはり今日の主役はスーザン・グラハムかと。
以前に彼女がドミンゴと共演した トーリードのイフィジェニー を観た時とはまた違った面でなかなかの好演。へたをするとラモン・ヴァルガスよりも背が高いので、すらっとした男性を思わせるが、動きと言う点では フィガロの結婚でのズボン役のケルビーノ ほどあまり男性っぽさを誇張するようなことはなかったが。
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受け売りの備忘録

実在の人物であるティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパジャーヌスをモデルにしている。在位はわずか3年足らず。

もともとは、モーツアルトのライバルであるアントニオ・サリエリに作曲依頼がいったが、彼が断わったためにモーツアルトが作曲することに。
1791年9月6日に、レオポルド2世のボヘミア王となる戴冠式の祝典用オペラとして作曲され、モーツアルトが「魔笛」と「レクイエム」の作曲中の18日間で書き上げたと言われている。
元のメスタージオの台本をもとに何人もの作曲家がオペラ化していたが、25曲ものアリアがあったところ、モーツアルトは9曲に減らした。
モーツアルトは以前にヨーゼフ二世に音が多過ぎるとの指摘を受けた為、わかりやすいメロディやハーモニーにし、アリアも短くしている。
時間がなかったので、レチタティーボ部分は弟子に書かせたとも言われている。

モーツアルトのオペラのエンディングでは、セストとヴィッテリアの行く末については何も説明のないまま終わるが、メタスタージオ原作では、ティートはヴィッテリアに自分はローマを妻、ローマの民を子供とするので、ヴィッテリアはセストと結婚して良いとして、全てがハッピーエンドとなっている。

「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トウッテ」などはオペラ・ブッファ、「魔笛」「後宮からの逃亡(誘拐)」はジング・シュピールであるのに対し、この「皇帝ティートの慈悲」はオペラ・セリア。

オペラ・セリアとは:
正歌劇。オペラ・ブッファに対する語。神話や古代の英雄物語を題材とした18世紀のイタリアオペラ。この「皇帝ティートの慈悲」は、そのオペラ・セリアの流れの最後を飾る作品。

オペラ・ブッファとは:
オペラ・セリアの幕間喜劇。世話物的で、レチタティーヴォ・セッコを活用したスピーディーな掛合い漫才的要素があり、18世紀後半のイタリア歌劇を代表するジャンル。

レチタティーボとは:
アリア(詠唱)の間にある語りの部分で、語りではあるが譜面には音程もリズムも記載されている。主に物語の進行をつとめる。単純和音の付けられたレチタティーヴォ・セッコと管弦楽付きのレチタティーヴォ・アッコンパニャートがある。

ジング・シュピールとは:
ジングは歌、シュピールは芝居・劇の意で、歌芝居。