原爆を開発したユダヤ系アメリカ人科学者ロバート・オッペンハイマーの行った人類初の原爆実験に至るまでの彼の葛藤や周りの人達の様子を描いたという異色のオペラ。
「芸術はどのようにして、テロや核拡散という、現代の社会問題に応えることができるのか?」とういテーマにいどんでいる。その初日(プレミア)に行くことにした。
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by John Adams
Libretto by Peter Sellars adapted from original sources
指揮:Alan Gilbert
J. Roberyt Oppenheimer : Gerald Finley
Edward Teller : Richard Paul Fink
Robert Wilson : Thomas Glenn
Kitty Oppenheimer : Sasah Cooke
General Leslie Groves : Eric Owens
Frank Hubbard : Earle Patriarco
Captain James Nolan : Roger Honeywell
Pasqualita : Meredith Arwady

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(画像HPより)
2005年にサンフランシスコオペラで世界初演。昨年のアムステルダムのネーデルランド歌劇場、今年のシカゴ・リリック・オペラを経て、今期のメトにかかった演目だが、それまではピーター・セラーズが演出していたが、今期のメトでは Penny Woolcock が演出した。彼女とセットデザインの Julian Crouch はイギリスの芸術家である Cornelia Parker の影響を受けたとか。

ジョン・アダムス氏による音楽はコンテンポラリーだが、初期の彼はミニマリズムに傾倒していたが、現在はポストミニマリズムと呼ばれるより柔らかな音調なのだそう。

来期のNYフィルの音楽監督になるアラン・ギルバート氏のメトデビューともなる初日(プレミア)だからか、NYフィルの理事長であるザリン・メータ氏も鑑賞に来ていた。父親がアメリカ人のもとNYフィルのバイオリニスト、母親が日本人で現役のNYフィルのバイオリニストのアラン・ギルバート氏、彼の日米のバックグラウンドもこの演目の指揮者に選ばれた要因となっているのだろうか。

パンフレットには、「This production uses flash and loud soud effects.」と書いた紙がはさんであるので、最後には大きな爆音でもするのかと思いきやそうではなく、女性の声で日本語が流れる。「お水をください、子供達がお水を欲しがっているんです、谷本さん助けて下さい、夫が見当たらないんです、お水をください・・・」と繰り返されるフレーズで終わるのが何とも印象的。

どういうオペラかはこのNYタイムズの動画で雰囲気を。作者のジョン・アダムス、今回初めて演出を担当したペニー・ウールコックの解説付き。


プレミアということもあって、作者のジョン・アダムス氏、演出のペニー・ウールコック女史など全員が出て来ていた。(画像が不鮮明だが、左から陸軍大将役のエリック・オーウェン、オッペンハイマー夫人役のサーシャ・クーク、ジョン・アダムス、アラン・ギルバート、ペニー・ウールコック、プロジェクターデザイナーなど4名をとんで帽子姿は主人公のオッペンハイマー役のジェラルド・フィンリー)
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一緒に行ったアメリカ人の友人曰く、科学の専門用語や詩歌的な言葉が多く難しかったと。二幕目の前半は周囲の人達も座り直したり咳払いをするなど結構長く感じたが、最後にはその友人は非常に感動していたようだった。
日本人の私としては、1幕目で何処の地に原爆を落とそうかと挙げる京都、横浜、長崎などの都市名と共にその地図がプロジェクターで映し出されたり、広島の地図が徐々に燃えて行ったり、そして日本語の言葉でしめくくられたこともあり、彼女のように感動できなかったのも事実。
しかしながら、スミソニアン博物館でのエノラゲイの展示を止めてくれるようにとの日本側からの要望は聞き入れられないこの国だが、戦後60年を経てこういうテーマをオペラにしようと思う、そしてしてしまう、出来てしまう、その素地は凄いとも思う。

非常に不勉強にも、原爆投下以降の日本の話は良く聞いても、それ以前のアメリカでのマンハッタン計画などはその名称ぐらいしか知らずにいた。
オペラの最後には、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の名前なども出てくるが、予備知識がなく良くわからず、後から調べてみてようやく意味がわかったので、以下は備忘録として。

マンハッタン計画とは
wikipediaより抜粋
第二次世界大戦中、枢軸国の原爆開発に焦ったアメリカが原子爆弾開発・製造のために、亡命ユダヤ人を中心として科学者、技術者を総動員した国家計画である。計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施した。さらに、広島に同年8月6日・長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。
計画に参加する科学者達のリーダーに選ばれたのは物理学者のロバート・オッペンハイマーである。
オッペンハイマーの提案で研究所はニューメキシコ州ロス・アラモス (サイト Y、後のロスアラモス国立研究所) に置かれることが1942年11月に決定した。
マンハッタン計画の開発は、秘密主義で行われ、情報の隔離が徹底された。 別のセクションの研究内容を全く伝えず、個々の科学者に与える情報は個別の担当分野のみに限定させ、全体を知るのは上層部のみというグローヴスの方針には、自由な研究を尊ぶ科学者からの反発も強かった。
1945年3月、連合国によりドイツが原爆を開発していない確証が得られると、ジェイムス・フランクやシラードらは、フランクレポートなど、対日戦での無思慮な原爆使用に反対する活動を行った。
しかし、アメリカは世界で初めての原子爆弾を開発し、7月16日にトリニティ実験を行い爆発に成功した。開発された原子爆弾は、8月6日に日本の広島に投下され、さらに8月9日に長崎に投下された。

オッペンハイマー氏とは
wikipediaより抜粋
原爆投下後、
世界に使う事のできない兵器を見せる事により戦争を無意味にしようと考えていたそうであるが、人々が新兵器の破壊力を目の当たりにしてもそれを今までの通常兵器と同じように扱ってしまったと、絶望していたそうである。
冷戦を背景に、ジョセフ・マッカーシーが赤狩りを強行した。 これがオッペンハイマーに大きな打撃を与える。1954年4月12日、原子力委員会はこれらの事実にもとづき、オッペンハイマーを機密安全保持疑惑により休職処分(事実上の公職追放)とした。オッペンハイマーは私生活も常にFBIの監視下におかれるなど生涯に渡って抑圧され続けた。
オッペンハイマーは後年、古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節、ヴィシュヌ神が自らの任務を完遂すべく、闘いに消極的な王子を説得するために恐ろしい姿に変身し「我は死なり、世界の破壊者なり」と語った部分を引用してヴィシュヌを自分自身に重ね、核兵器開発を主導した事を後悔していることを吐露している。戦後、原子爆弾を生み出したことへの罪の意識からか、日本の学者がアメリカで研究できるよう尽力するようになった。

トリニティ実験とは
wikipediaより抜粋
トリニティ実験(the Trinity test)とは1945年7月16日にアメリカで行なわれた人類最初の核実験である。
この実験に付けられたトリニティ (Trinity:キリスト教における三位一体説) という名称の正確な由来は不明だが、ロスアラモス研究所長のロバート・オッペンハイマーがジョン・ダンの詩から引用したものとしばしば言われている。

谷本清氏とは
wikipediaより抜粋
谷本 清(たにもと きよし、1909年 - 1986年)は、香川県坂出市出身の日本のキリスト教牧師、平和活動家。
1943年に広島流川教会の牧師に就任。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下の際に、爆心地から3kmの己斐町で疎開作業をしており直接の難を免れるが、広島市内に引き返して救護活動に従事。その後、原爆症により生死の境をさまようが奇跡的に回復。
教会復興に尽力している最中、1946年5月、ジョン・ハーシー (ピュリッツァー賞作家)の取材を受けたことから、谷本の被爆体験が世界中に紹介され、著書『ヒロシマ』となって大きな反響を呼ぶ。
谷本の運動は、海外への原爆体験の普及、原爆被害者の救援という点で先駆的なものであり、注目に値する。日本国内より海外、特にアメリカで高く評価されている人物である。

後記
サンフランシスコオペラのディレクターのローゼンバーグ氏が、「アメリカ人の醜さ」をオペラにしたいと現代オペラ作曲家のアダムス氏に依頼したことが発端。アダムス氏は6年がかりで歴史の資料を取り寄せ、オッペンハイマーがボードレールの詩集、ヒンズー教の聖典、ダーンの「唄とソネッ