前日に行かなかった清水寺と祇園界隈に行った。

清水寺 へ。
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隋求堂(ずいぐどう)の本尊が祀られている地下を、以前はなかったと思うのだが、巡ることが出来るようになっていたので行ってみた。大隋求菩薩は女性とのことで、胎内巡りとされる。長野の善光寺のように真っ暗で、手すりに沿って入って行く。
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一番奥にはライトアップされ梵字が書かれた石があり、それを観てから再び胎外に出ると、再び生まれ変わるという意味合いがあるとのこと。(画像はHPより)

四条河原町から清水までの間、タクシーの運転手さんとお話させてもらったところ、新型インフルエンザの影響が非常に大きく、特に修学旅行生が少なくなった為、この時期の例年と比べると1割程度しかお客さんがいないと嘆いておられた。
今回、大阪、神戸、奈良、京都、そして東京と短期間で回ったが、マスク姿が一番多かったのは東京だったのだが。。。
清水寺前界隈では観光客が少ないようには感じなかったが、音羽の滝では、最後尾では「○○分待ち」と掲げたカードがあったが、全く人は並んでおらず。
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今まで京都に遊びに行く時はあえて観光客の少ない冬の時期を選んでいたこともあってか、この滝で並ばせるためにテープが張られているのを私は初めて見たが、並ぶのはおそらくいつもの光景なのだろう。

非常にラッキーだったのは、延暦寺のお坊さんで、千日回峰行の修業中の阿闍梨さん一行が清水坂を上がっていかれるのを観られたこと。
丁度前日に京都銘菓の阿闍梨餅を買って帰り、友人に阿闍梨について説明をしていたところだったので、全くの偶然だが良い機会だった。
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まさしく阿闍梨餅のパッケージの絵と寸分変わらぬ格好(画像左)で、後ろからは若い男性に腰を棒で支えてもらいながら、物凄いスピードで坂を登っていかれ、付いている人達も写真は撮らないで!と周囲の観光客に声をかけておられた。画像右はDVD「阿闍梨 山の道」より。
千日回峰は、7年間をかけて通算1000日の間に行なわれるもので、最初の3年間は1年で100日間に1日30キロを歩いて255ヶ所の霊場を巡り、続く2年間は1年に200日同様に1日30キロ、つまり5年で700日の修行を経たことになる。その後9日間の断食・断水・断眠・断臥の行を行った後の6年目は、100日間だが、1日に60キロに増えた距離を歩き、巡拝する場所も266カ所となる。7年目の前半の100日間で1日84キロで300カ所の巡拝、最後の100日間は当初の1日30キロの行になるというもので、合計1000日間で、地球1周に匹敵する4万キロを歩いたことになるのだとか。
とにかくハードで未だ1000日を満行した人は比叡山延暦寺の記録でも47人しかいない。
(阿闍梨に関しては wikipedia、 千日回峰行については wikipeia を参照ください。)

三年坂、五年坂 などを散策。
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祇園 に戻り、お茶屋さんや置屋さんのある花見小路界隈を散策していると、丁度置屋さんから普通の着物を着て髪だけ結いあげ未だお化粧をしていない舞妓さんが出て来られた。
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八坂神社円山公園 へ。
円山公園の名物の枝垂れ桜は、剪定された後で観る影もなく、写真を撮る気にもなれなかったのは残念だったが、来春には綺麗な桜の花を咲かせてくれることを期待することに。
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友人がいたく舞妓さんを気に入ったらしく、前日に先斗町で舞妓さんに何度も遭遇したにもかかわらず、祇園の舞妓さんも観たいとのことで、再び夜の祇園の花見小路界隈へ。
丁度お客さんの男性と可愛い舞妓さんが車に乗り込み、「おかあさん」が車を見送る姿があった。
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お昼に入った祇園の京料理屋さんのおかみさんと少しお話する機会があったので、色々と祇園界隈について教えて頂いた。(食べ物記事は こちら
舞妓さんの総数などはわからないが、近年はなり手が多く増加傾向にある。ただし京都以外の地方から来る人がほとんど。
現在5つの花街が京都市にあるが、やはり祇園の舞妓さんや芸妓(げいこ)さんが一番ではないだろうか。
お客さんが、祇園にあるレストランに来るよう先斗町の舞妓さんなどを呼べば先斗町の舞妓さんが祇園に来ないことはないが、基本的には祇園は祇園、先斗町は先斗町としているようだ。
今は置屋を続けて行くのは代替わりの時期になっており、廃業される置屋も多い。おかあさん(置屋のおかみさん)に娘が居れば継ぐ場合が多いが、息子は継ぐことが出来ない。娘が居ない場合、そこの置屋の芸妓さんが継げないこともないが、やはり置屋稼業は小さい頃からその家で育った女性でないといくら舞妓さんや芸妓さんになった人でも技量が異なり難しい場合が多い、とのことだった。

舞妓・芸子・半玉・芸者の違い
wikipedia舞妓項 wikipedia芸者項 より

芸妓は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった。
芸妓は多くの場合、一人前の芸妓と見習とに区別されており、それぞれの名称が地域によって異なる。

京都・大阪などの近畿地方
 芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。山形、石川などでもこの呼名が行われる。
東京を中心とする関東地方
 芸妓を「芸者」、見習を「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。