バガンその2 からの続き

昼食後、漆工芸の工場 を見学。バガンは漆産業が盛んで、漆工芸の大学まである。
若い女性が手先のこまかい作業を、大まかな仕事は男性が分担していた。
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この女性は、お椀を作っているのだが、縦に細い竹を軸にして馬の尻尾の毛を横にわたし、その後7重に漆をかけていく。出来上がりを見せてもらったが、軽くて柔らかいままのお椀。

マヌーハ寺院
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1059年建立。捕虜となった経験を持つタトォン国のマヌーハ王は、あえて仏像が非常に窮屈に思える寺院を造った。
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大きな坐像の横は人が一人通りぬけることが出来るぐらいの幅しかない。
お寺の前には大きな器があるが、お布施やお供えを入れる容器。梯子を登って寄進する。

ナンパヤー寺院
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仏教が伝来するよりも前のヒンズー教の影響を受けている。三面の神の彫刻があった。
ヒンズー教の三神のひとつであるブラフマー神で、創造神。蓮華の台座の上に片方の膝を立てて座る輪王坐の姿勢で、肘を曲げて蓮華を掲げたポーズ。ブラフマーは四面が本来であるが、三面が彫刻されている。現在は、仏教に取り入れられた「梵天」とみなされ仏陀の従者としているとのこと。

タビィニュ寺院と僧院
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65メートルの高さでバガンでは一番の高さの寺院。ただ、内部は地震で相当痛んでしまいそのままとのことだったので見学は割愛。
戦争中は日本軍の野戦病院にも使われたのだとか。
僧院には、「鎮魂」と書かれた日本人戦没者の慰霊碑があった。

ナンロンジョン
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内部は結構地震で痛んでいて、涅槃像や3つの仏像など修復されている部分も多い。
窓からは隣のタビィニュ寺院が良く見えた。

アーナンダ寺院
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バガンを代表する美しい建物。
高さ51.2メートル、平面は正十字形をした方形寺院でパガン王朝第三代王チャンシッターが1091年に建立。この日は仏教の「誓いの日」という特別な日だったので、入口付近ではお坊さんがマイクに向かって読経をし、そのお経がお寺中に聞こえるようにしていた。
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東西南北に4仏の立像があり、細くくびれたコシや足の形がわかる薄い衣など、インドのパーラ朝の仏像の影響が大きい。遠くからだと笑っているように見えても、そばの下から見上げるとまじめな顔になる仏像でもある。
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その4仏を巡る回廊には天井まで小さな祠にそれぞれ仏像が安置されていた。黄色い服の子供の写真を撮ろうとしたところ、お姉さんも一緒にと呼んでくれた。

ダマヤンヂー寺院
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バガンで一番大きな寺院。第5代王ナラトゥーによって建立。平面図はアーナンダ寺院と同様に正十字形で、回廊は丸天井。地震などの損傷の為、中には仏像が新しくおさめられている物も多いが、多くの参拝者が祈っていた。
涅槃像は昔のまま。入口付近には、ピュー民族の言葉で書かれた石碑があった。

グービャウヂー寺院
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内部は撮影禁止となっていたのだが、仏陀のとても綺麗な壁画が多く残っていて、モン族の言葉が書かれている。

しばしホテルで休憩。
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マンダレービールとジンライムを。ホテルの部屋からは河畔のホテルレストランの先に見えるエーヤワディ川(イラワジ川)が照り映えて綺麗だった。

夕暮れの様子は その4