岐阜は大垣市にある墨俣(すのまた)城と大垣城に行ってみた。

墨俣城

別名一夜城としても知られ、秀吉が一夜のもとに築城したと言われている。

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もともと、織田信長が美濃攻めを行うにあたり、1566年当時未だ30歳だった秀吉に、美濃の前線基地として墨俣(洲股)に基地を造るよう命じたのが事の起こりで、秀吉が一夜で築城したとの逸話が伝えられていた。
実際には、昭和34年の伊勢湾台風時に、江南市の前野氏27代目の人が土蔵を整理していて古文書を発見し、逸話が史実となったとのこと。
秀吉は、あらかじめ木々を切らせて丸太などの準備を万全に行い、一斉にこの地に正午頃にやって来て、築城と言っても翌日の夕方までに馬柵を張り巡らして陣取ったもので、現在のようなお城の形状ではなかったとのこと。

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目の前の長良川を越えた北東には、金華山の山頂の岐阜城(稲葉山城)が見える。岐阜城の様子は こちら

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秀吉の馬印が瓢箪だったことから、絵馬ならぬ瓢箪型のものに願い事を書いて吊るしてあった。
墨俣宿という宿場もあったが、現在本陣は本陣跡の石碑のみ。脇本陣は、明治24年(1891年)の濃尾震災で崩壊した為、同様の構造で再建されたものがあった。

大垣城

大垣市の中心にある。
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大きいお城を期待していたところ、城下町は非常に大きいが本丸は以外に小さい印象かも。
1500年築城され、国宝にも指定されていたが戦争で消失。現在は鉄筋の建物が再現されている。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍の石田光成の居城ともなった。お城の前の騎馬像は戸田大垣藩主。
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天守閣からは、雪をいただいた伊吹山が望める。伊吹山からずっと左の山の谷の辺りが関ヶ原とのこと。
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またはるか彼方だが岐阜城もビルの間から見ることが出来た。

お城の中には、消失前のお城を再現したCG映像や、関ヶ原の合戦の様子の解説のビデオなどがあり、面白かった。