前回 中部フィルハーモニー交響楽団アンサンブル を宗次ホールでのランチタイムコンサートとして聴きに行ったが、今回は智内威雄(ちないたけお)氏のコンサートに行ってみた。
彼は右手が病気により演奏できなくなり、左手だけの奏者として活動しておられる。310名の会場は2階席までほぼ一杯になっていた。(画像はHPより)
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智内威雄氏プロフィール
東京音楽大学ピアノ演奏科コースを卒業後、ドイツ・ハノーファー音楽大学に留学。E.S.ネックレベルク氏に師事し研鑽を積む。同大学在学中にマルサラ国際コンクール3位入賞。その後ジストニアが発症し、大学を休学しリハビリを開始。04年より左手のピアニストとして演奏活動を再開。左手のみで行った室内楽の卒業試験では満場一致の最優秀成績を収める。(HPより)

東京音大などでも教えておられるだけあって話術もたけておられ、各曲の解説をしつつの1時間のコンサート。

左手のピアニスト 心に響く命の音

サンサーンス「エレジー」
ラヴェルの「左手の為の協奏曲」が有名だが、この曲に影響を受けたとのこと。
吉松隆 「アイノラ叙情曲集」より1~4
シューベルト 「アヴェ・マリア」
グリーグ 叙情曲集より「エレジー」「メランコリー」
ラヴェルに「左手の為の協奏曲」を作曲してくれるよう依頼したウィトゲンシュタインはパトロン的立場だったが、彼自身もピアノを弾く。彼も第一次世界大戦で右手を失い、グリーグの曲を彼自身が左手用に編曲したもの。
シューベルト 「魔王」
左手用に編曲されたものとは言え、これはご本人もおっしゃっていたが、左手一本でなかなかハードな曲。
スクリャービン 「前奏曲」「夜想曲」
スクリャービンはプロコフィエフやラフマニノフらと同級生で、過度の練習から右手首損傷と言われているが、実は智内威雄氏と同じ病気のジストニアを患っていた。彼が右手で書いた手紙の筆圧が強くなることなどからもジストニアの症状が現れているのだそう。
<アンコール> 
飯田正紀 「ジェラシー」 
吉松隆 「アイノラ叙情曲集」より5

左手一本の演奏とは言え、非常に力強い演奏。音が非常に多い魔王はやや辛そうな部分もあったが、打鍵時の音のみならずペダルによる音の余韻とでより音の幅を広げておられる印象を受けた。

左手一本の弱点は音の少なさだが、言葉は数が少なくても印象に残るように、音が少ないことでより違った音楽がある、というようなことをおっしゃっていた。
ラヴェルの左手の為の曲があるぐらいしか、左手の曲は不勉強にも知らなかったが、色々な作曲家が左手の為の曲をかつては作っていたと知った。
ジストニアという難病にはシューマンもかかっていたとのことだが、1800年後半から1900年前半の戦争の歴史と共に左手だけの為のピアノ曲も作られていったのだそう。現在はそのようなことがなくなってしまったので、左手の為の曲を発掘していきたいとおっしゃっていた。