天草を後にし、熊本市内へ。天草の様子は 4日目その1

熊本城

イメージ 1

慶長6年(1601年)から加藤清正が7年かけて築城し、その後240年間は肥後藩主の居城となり、大阪城・名古屋城と並んで日本三名城のひとつになっている。周囲5.3キロ、面積にして98万平米。

イメージ 11
宇土櫓


城内にある多層櫓としては唯一創建された慶長年間の姿を残しており、3層で内部は5階建ての地下1階からなり、第三の天守閣に見えるほど。

イメージ 14
石垣の傾斜が異なっている。武者返しと呼ばれる石垣だが、加藤清正時代のものは手前の緩やかなもの、細川家時代のものは奥の急こう配なもの。

イメージ 15

大小天守閣

現在の天守閣は昭和35年に外観復元したもの。大天守閣は地上6階地下1階、石垣の上から高さ約30メートル、小天守閣は地上4階地下1階で高さ約19メートル。宇土櫓もそうだが、いずれの天守閣に上がる際も階段を頑張って登ることになる。

天守閣からの眺めがとても良い。宇土櫓が小さく見え、その先をずっと左右に長くのびる長塀は、日本一長い堀建築で、242.44メートル。そしてその長塀には銃を構える為の穴がずっと巡らされている。
イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18
本丸御殿

一昨年に復元された。昭君之間は、一番格式の高い部屋で藩主の居間であり、対面所として利用された。
イメージ 19

イメージ 2
不開門(あかずのもん)
お城の鬼門に位置する為、不浄なものを運ぶ時以外は閉ざされていた門。今は開いているが。

監物台樹木園

イメージ 3
城内にある樹木をメインとした植物園。全九州の営林署に声をかけて標本樹を集め1952年に開園。
南国を感じさせる樹木が多かった。

旧細川刑部邸

イメージ 4


細川家三代で肥後藩初代藩主となった細川忠利の弟である興孝(おきたか)が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて建てた御屋敷は、約300坪の広さ。
現在のものは、平成になってから三の丸の用地に4年をかけて移築復元された。

イメージ 5

玄関
唐破風屋根に式台付の正玄関は当主と重臣などの訪問時のみに使われたもので、左側には御次玄関がある。

イメージ 6イメージ 7


表御書院(画像左)
刑部邸で主となる対面の部屋で、江戸時代の大名一門の造りをよく残している。
画像では撮れなかったが、庭に面して板製の廻り廊下、そして内側に畳敷きの廊下の入側(いりがわ)がある。細川家の重臣は入ることができても、家臣の家来などは入側までしか入れなかったのだそう。
春待閣(銀之間)(画像右)
当主の私室。部屋の壁が銀箔だったことから「銀之間」とも言われる。

イメージ 8茶室の観川亭


イメージ 9








坪庭のような中庭もある。
右側が当主などの建物で、左側が使用人の住居

熊本市内中心部

イメージ 10





鹿児島市内と同様、路面電車が走っている。






水前寺成趣園

イメージ 12

イメージ 13
寛永13年(1636年)の肥後藩主細川忠利から3代、約80年かけて完成した桃山式の回遊庭園。東海道五十三次を模した庭園となっていて、1万平米の池の周りに富士山にみたてた築山などが配されている。

この庭を境内とする神社や、能楽殿(画像左)、流鏑馬の馬場などもある。




天草で魚介類をたくさん食べ、熊本と言えば馬肉でも有名なので馬肉を食べることに。
名古屋空港に帰るフライトの都合もあったので、飛行場のレストランで食べることにした。その様子は こちら

わずか3泊4日で鹿児島の指宿と熊本の天草を駆け足で回ることになったが、ゴールデンウイークに日本国内の旅行をするのは、良く良く考えてみれば15年ぶりぐらいで、日本の行楽地が何処も混むということをあまり考えていなかった。。。