2日目その1 からの続き

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地名(じな)のトンネル

大井川鉄道の地名駅の北側には全長約7メートルの非常に短いトンネルが存在する。線路上をまたいでいた貨物索道から線路を保護するために建設されたが、現在その索道は廃止され、トンネル部分のみが残存する格好になっているのだそうで、日本一短いトンネルと言われている。(東日本の吾妻線の樽沢トンネルとも言われているが)

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奥大井ロケのメッカ
丁度ピンクの花をつけた雑草が河原一面に咲いていて綺麗だった。SLが鉄橋を通過するのを狙うべく多くのカメラマンが構えていた。SLが来る時間まで待っていれば、素敵な写真が撮れたのだろうが、あいにく我々にはそこまでの忍耐力がなかった。
ハリウッド映画「SAYURI」「Always 三丁目の夕日」、山田洋次監督「武士の一分」
ドラマでは、「純情きらり」「西村京太郎サスペンス」「広島」

いっぷく処 やませき でお茶を
そしてすぐ隣の 加藤菓子舗 で抹茶大福を

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家山駅
  とにかく映画などのロケにやたらと使われている。

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映画:高倉健・広末涼子「鉄道員 ぽっぽや」、柄本明・大竹しのぶ「花は散れども」、吉永小百合・竹中直人「まぼろしの邪馬台国」、徳重聡・窪塚洋介「俺は君のためにこそ死に行く」、緒方直人「わが心の銀河鉄道」、唐沢寿明・木村拓哉「君を忘れない」、浅野ゆうこ「蔵」
ドラマ:泉ピン子「嵯峨のがばいばあちゃん」、中井貴一・石田ゆり子「はだしのゲン」、宮沢りえ「女の一代記シリーズ・瀬戸内寂聴」、宮崎あおい「純情きらり」、高島礼子「赤い月」、藤原紀香「愛と青春の宝塚」 などなど挙げるときりがない。

たいやきや で、名物の抹茶たい焼きと静岡おでんを
そして、三浦製菓 でお土産の抹茶羊羹を購入

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東海道 金谷坂の石畳

東海道五十三次の金谷宿は、西に中山峠、東に大井川の難所に挟まれ、川越えの宿場として栄えていた。江戸時代に幕府が、金谷峠の坂道を旅人が歩きやすいようにと山石を敷き並べたもので、わずか30メートルだけ残っていたが、平成3年に430メートルに復元された。
今、街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂と、箱根峠、中山道十曲峠の3か所のみ。中山道の石畳の様子は こちら

蓬莱橋(ほうらいばし)
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1869年(明治2年)徳川慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧ノ原を開拓しお茶を作り始めた。島田へ生活用品や食料品を買いに出かけ、また島田からも原野開墾のために来るようになり、そのつど大井川を小舟で渡らなければならなかったので、1879年(明治12年)に橋が完成した。
しかし木造の為、大井川の増水の度に被害を受けていたので、1965年(昭和40年)にコンクリートの橋脚に変えられた。

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全長897メートル、通行幅2.4メートルで、平成9年現在世界一長い木造橋としてギネスに認定されているのだとか。
・・・そう言えば、ミャンマーに行った時にアマラプラという古都のタウンタマン湖にかかるウー・ベイン橋は、約160年前に建造された木造橋で約1.2キロあり世界一長い木造橋と言っていたような。。。(その 様子) 映画:「男はつらいよ純情篇」「男はつらいよ噂の寅次郎」
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橋はまっすぐなので、対岸まで近いようで案外延々と続く。そこを皆、そぞろ歩くのだが、広い河原では、鳥達ものんびり水浴びをしたり、羽根を広げて乾かしたりしていた。

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牧ノ原台地
さすがお茶どころ。車を何分走らせても両側にはずっとお茶畑が続く。

お茶の郷
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お茶の博物館や、庭には茶室もある。実際に色々なお茶の葉を手に取ることも出来る。
博物館では、祁門紅茶(キーモンティー)を飲ませてもらえる。インドのダージリン、スリランカのウバと並んで世界三大紅茶のひとつとなっている中国の紅茶。イギリスを始めとするヨーロッパ諸国で「中国趣味 シノワズリ」が流行った時に飲まれていたのがこの紅茶で、今もイギリスのエリザベス女王の誕生日には、この紅茶でお祝いされるのだそう。

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また、無料でてん茶の茶葉をいただき、その場で石臼を挽いて、抹茶を作る体験もでき、自分で挽いた抹茶はもらえる。

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抹茶ソフトクリームを食べたが、美味しかった。

帰路、浜松の 幸楽 でとんかつを食べて帰った。

今回は、寸又峡温泉に行くだけのつもりだったが、とても綺麗な寸又渓谷や、SLの走る大井川鉄道や、さまざまな吊り橋、そしてお茶菓子やお茶など色々と楽しむことが出来て、盛りだくさんな週末となった。


以下は博物館の展示からの受け売り:
お茶の歴史
805年に、遣唐使として唐に渡った最澄が滋賀県の日吉神社にお茶を植えたとされ、日本最古の茶園とされている。その後、815年に、嵯峨天皇に遣唐使がお茶を煎じて献上。そして平安京でもお茶が飲ま始めたが、当時はお団子状につき固めたお茶を煎じて飲む団茶法。
静岡のお茶の歴史
1235年に中国・宋に仏法を極める為に渡った聖一国師(しょういちこくし)が日本に持ち帰ったお茶の種子を足窪村(現在の静岡市足久保)に蒔いたとのこと。
静岡のお茶処には、大井川上流で江戸時代末期から煎茶の産地で現在は普通蒸し煎茶を作っている川根茶、東洋一の大茶園と言われた牧ノ原台地を中心とし深蒸し煎茶を主に造っている金谷茶、大井川中・下流域と牧ノ原台地の一部を中心とし深蒸しの島田茶の3つのエリアがある。
お茶の条件
一般的に、年間平均気温が14~16度、生育期間の年間降雨量が1300ミリ以上。
食と結びついたお茶
富山県朝日町では、煮出したお茶を茶筅で泡立てるバタバタ茶がある。先祖の命日や成人の祝いなどの時に近所の主婦が楽しむもの。
沖縄では中国産のお茶と炒り米の煮汁を泡立てて飲むブクブク茶。赤飯を入れた茶碗に泡立てたお茶を盛り、その上に落花生を乗せて食べる。沖縄では、その赤飯なしのお茶だけを飲んだが、その様子はこちら
島根では、番茶と茶花を煮出して茶筅で泡立てご飯や煮豆、漬物など数種類の具を入れて飲むボテボテ茶。少ない具でもお腹にたまるので飢饉の際や仕事の合間に食べるハシマ(間食)として食べられた。
福井の山間部では、麦やトウモロコシなどの穀物を鍋で炒り、石臼で挽いた粉に番茶をかけて練り、蕎麦がきのようにして食べるイリコ
山口の大島では、番茶を煮出したお茶で作る茶粥があり、耕地が少ない為、節米のための食事だった。
信仰と結びついたお茶
群馬県中之条町では、菅原道真を祀り、お茶講が行われる。お茶講は、渋茶(煎茶)、甘茶、陳皮(みかんの皮)を異なった割合で混ぜて4種類の味を作り、7回飲んでそれぞれの味を飲み分けるゲームで、中世の闘茶の流れをくむ。
京都の六波羅蜜時では、大晦日の夜に、かくれ念仏が行われ、梅干しと結び昆布を入れたお茶がふるまわれ、皇服茶(大福茶)と言われる。
九州では、結納の際に花婿方から花嫁方に水引で飾られた結納茶が贈られる。お茶が植え替え出来ない植物と信じられていたことや、中身に上等でないお茶(一度しか出ない)を使うことで、一度実家から出た嫁が居つく(出ない)ことを願う意味が込められ、結納のことを「おちゃ」「おちゃいり」と呼ぶ。