前日には、この4月にオープンした三菱一号館美術館で 「マネとモダン・パリ展」 を観に行ったのだが(その様子は こちら)、この日は2007年にオープンした国立新美術館でオルセー展を観ることにした。

イメージ 1

イメージ 2今回この美術館に初めて行ったのだが、以前ここにあった建物は、戦前二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎で、戦後は文部科学省が所有していて取り壊される前に何度も行ったことがあったので、歴史的な建造物だから写真だけでも撮っておいた方が良いよと屋上なども案内してもらったものだが、その時はカメラを持っていなかったこともあってそのままにしていたが、美術館入口に置かれている当時の建物の模型だけでも写真に収めようとしている人が何人もいたので、今となってはしまったなぁと。

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」

オルセー美術館の大々的な改装工事に伴い、モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめとするオルセー美術館所蔵の絵画115点が展示されている。そのうちの約半数が日本での公開は初めてとなり、開催15日目で10万人を突破したのだそう。(以下は備忘録として。画像および解説は国立新美術館のHP等より)
ポスト印象派とは
1880年代半ばのフランスでは、印象派の圧倒的な影響を受けた多くの才能が、さらに革新的な表現を探究。1910年、イギリスの批評家ロジャー・フライは、印象派とは一線を画す傾向を察知し、「マネとポスト印象派」と題した展覧会を組織。ここに出展されたのが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラといった画家で、以後ポスト印象派は、確かな形態描写、堅固な構図、鮮やかな色彩、観念的なものへの志向など、印象派の関心の外にあった傾向を復権し、20世紀初頭の前衛美術の登場を促した動向と位置づけられてきた。
しかし、ポスト印象派は、画家によって画風が大きく異なることから分かるように、何らかのグループでもなく、特定の手法や理論を掲げた運動でもなく、ポスト印象派に含まれる画家たちは、印象派への対抗という一面的な理解では捉えきれない、多様な個性を備えている。
ちなみに我が国では、「後期印象派」という呼称が長く使われてきたが、この用語は、印象派の後半期を示すかのような誤解を招く恐れがあり、近年では「ポスト印象派」が定着しつつある。
 
1886年~最後の印象派
1874年、モネやピサロといった若い画家達が集まり、のちに印象派展と呼ばれる初めての展覧会を開催。光や大気の影響を受けて刻々と表情を変える身近な光景に着目した彼らは、これを、明るく自由な筆致で生き生きと表現した。1880年代に入ると、印象派を扱う画商やコレクターも増え、その斬新な手法は、同時代の画家たちに決定的な影響を与えるようになる。
1886年、最後の印象派展が開かれ、ポスト印象派世代の登場を告げる重要な作品群を含んでおり、一つの分岐点となった。

イメージ 4
クロード・モネ
 
ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光 1904年
印象派の画家達は都市を好んで描いたが、モネはロンドン
特有の霧に包まれた国会議事堂を繰り返し取り上げた。
時間によって変わる大気を描こうと、霧に太陽が当たって
いる状況を描いた。光と季節の変化によって違って見える
瞬間を画面にとどめようとしている。
淡い色使いと光とシルエットの対比が素晴らしい。
 
 
イメージ 5

クロード・モネ
睡蓮の池、緑のハーモニー 1899年
ジベルニーに住んだ時に描いたもの。
日本風で、池の水面への周りの
映り込みをも描いている。
 
 
 
イメージ 6
エドガー・ドガ 階段を上がる踊り子
 1886~90年
踊り子はドガお気に入りのモチーフ。
印象派に特有の軽やかな筆遣いで描かれた踊り子たちが、
一つの動きを連続して促えた写真のように、手前から奥へと
流れるように表現されている。
 
 
 
スーラと新印象主義
1886年の展覧会にスーラとシニャックが出品し、大きな話題を呼んだ。
印象派の筆触分割に感化された二人は、独自の点描技法を考案。感覚を重視して描いた印象派とは対照的に、彼らは厳密な理論に基づいて色彩を配置し、スーラは光学や色彩学などの科学的な知識を応用した。その静謐な画面は、小さな点が生み出す無数の色彩のコントラストによって輝きを放ち、巧みなグラデーションの効果と共に、光がおりなす微妙なニュアンスをよく伝えている。
鮮やかさを失わないでものを再現する画風に対し、旧来の印象派が感覚的に光と空気の表現にとりくんだのとは対照的。

スーラの「ポーズする女」3点があったが、肌の透明感などが非常に綺麗だった。
 
イメージ 7ジョルジュ・スーラ
ポール・アン・ベッサンの外港、満潮 1888年
スーラ特有の静けさに満ちた、詩情豊かな海景画。
はるか沖や防波堤の水平線、入り江や崖の曲線、ボートや屋根の
三角形などが、見事な調和を保って構成されている。
色彩論や科学的な本も勉強していたスーラは、理知的にねりあげて
おり、横の線やななめの線、三角形など幾何学的な構図をとる。
額縁にもスーラ自身が点々を描いているが、額と絵との間にも
青い縁を描き、空の方はより青が強く描かれている。
 
イメージ 8
ポール・シニャック

マルセイユ港の入口 1911年
海辺に住み、ボートを操ったシニャックは、海景を好んで描いた。
華やかな色彩とモザイクのような大き目のタッチで満たされた画面は、シニャックの後期作品に典型的な、流麗な装飾性に溢れている。
スーラの生涯は短かったが、ひきついだシニャックはより装飾的。
船につけられた国旗のひとつに日本の国旗が描かれていたのは
何だか嬉しかった。 
セザンヌとセザンヌ主義
セザンヌは、自らの進むべき方向との違いに気づき、エクス=アン=プロヴァンスで孤独に制作に励んだ。セザンヌが求めたのは、「堅固で永続的な」芸術で、りんごや人物の表現に見られるボリューム感、堅牢に組み立てられた画面構成、平面的な筆触を重ねて生まれる独創的な空間表現など、その斬新な成果は、キュビスムや抽象絵画など、後世に多大な影響を及ぼすことになる。当時のセザンヌは、公には作品をほとんど発表していなかったが、ゴーギャン、ベルナール、ナビ派など、一部の若い画家たちに熱狂的に支持され、彼らの間にその影響は広がった。

イメージ 9ポール・セザンヌ 台所のテーブル(篭のある静物)1888~90年
セザンヌは生涯を通じて数多くの静物画を制作。
セザンヌの静物画の中でも最も有名な作品の一つ。
初期には印象派の影響を受けていたが、(モネなどは)光や空気を
重要視していくうちに質感や形が失われて行ったのに対し、
セザンヌは再度、質感などを表現しなおそうとした。
一か所からの視点で描く技法は伝統的な西洋絵画の
ものだったが、篭、果物、壺といったモティーフを
複数の視点から捉えた描き方となっている。
近代絵画の父と呼ばれる所以。
 イメージ 10

ポール・セザンヌ 水浴の男たち
 1890年頃
戸外で水浴する人物の群像を、セザンヌは繰り返し描いた。
晴れやかな色彩の風景の中で、神話ではない人間の裸の
男達ががっしりとした質感で描かれている。
近景の三人を中心に、中景そして遠景にも人物がバランスよく
配置され、背の高い樹を頂点とした三角形の構図をなしている。
 
 

 
トゥールーズ・ロートレック
心酔していた印象派の影響から脱却し、素早いスケッチ風の独自のスタイルで、虚飾の背後に潜む、人間の真の姿を露わにする作風となる。
 
イメージ 11
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 
女道化師 シャ・ユ・カオ
 1895年
ムーラン=ルージュでダンスを披露していたシャ=ユ=カオは
ロートレックの作品に幾度となく登場している。
ロートレックは、出番の前に衣装をつけているシャ=ユ=カオを
大胆な斜めの構図を用いながら、色彩のコントラストを
際立たせて描いている。
 
 
 
イメージ 3
 

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 
赤毛の女(化粧)1889年
娼婦か踊り子かと思わせる。
あえて顔を描かず、生々しい内面の
表情を描いている。

 
 
文字数制限により その2 へ続く。