セピロックを後にしてサンダカンの町へ。
 
サンダカンは、サバ州第二の都市として、木材、魚介類、パームオイル、ゴム、ツバメの巣などを扱った商業の街。 歴史的には、イギリス人統治下の時代には首都として、その後は日本軍の占領下として、1945年には連合軍の爆撃を受けて破壊され、首都がコタキナバルに移されたという経緯を持つ。
サンダカンの観光を。

プー・ジー・シ寺(普済寺)

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サバ州最大の仏教寺院。総工費は3億円とも言われ、仏像3体の両脇の柱は、チーク材に金箔を塗って作った龍が巻きついているが、わざわざマカオから取り寄せたものなのだそう。
 






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中国系の人達は広大な土地を持っている人が多く、プランテーションで収穫したアブラヤシを工場に売るなどして巨万の富を得ているのだそう。

お寺からは、素晴らしい景観が望め、手前の島の奥にある沖に見える島々はフィリピンとのこと。これだけフィリピンと近ければ、なるほど、フィリピンからの出稼ぎや移民が多いわけだと。


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日本人墓地

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恥ずかしながら、「からゆきさん」なるものは一度テレビか何かで聞いた程度でほとんど記憶にとどめていなかったのだが、「サンダカン八番娼館 望郷」という映画にもなり、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞していたとは全然知らなかった。
現実として、彼女達が日本に帰国してからも日本の社会には受け入れてもらえず、再びボルネオの地にやってきて生涯をとじていた人が居たということ。彼女達のお墓は、日本の方角を決して向いていないのだそう。
からゆきさんとは wikipedia より抜粋
唐行きさんは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のこと。長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。
からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。
こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになった。1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。
第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることは少なかったが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が現れた。
 
日本人墓地のほか、辺りには色々な宗派のお墓があった。
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華僑のお墓は、沖縄で見たお墓に形が良く似ている。




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マレー半島に比べ、ボルネオ島はキリスト教徒が多い。18世紀後半の中国清朝の時代にキリスト教徒が弾圧された為、福建省と広東省の教会が斡旋して、組織的な移民を行い、移民たちは家財道具をすべて携えて大挙してサラワクとサバに渡っってきたのがもともとなのだそう。
我々をガイドしてくれた若者は、お父さんが中国系、お母さんが地元部族出身で、一家はクリスチャンだと言っていた。
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イスラム教徒のお墓




水上集落

多くの人達が水上集落(シムシム)で生活をしている。そのうちの中国系の水上集落を見学。

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 水上集落にある中華料理店の入り口
マレーシア?ボルネオ?では、靴を脱ぐのが習慣のようで
我々が泊ったセピロックなどのロッジでも部屋はもとよりホテルの
メインダイニングなどに入るのにも靴を脱ぐようになっていた。

フィリピン系や、中国系、マレー系などがそれぞれ住み分けしてはいるが、水上集落を形成している。それぞれ一軒あたりの大きさが異なり、一番一軒あたり大きな区画の水上集落はマレー系、続いて中国系、一番小さいものがフィリピン系となる。大小によっても異なるが、一軒あたり4万リンギット(約120万円)ほどとのこと。

 
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丁度この日で一ヶ月続いたラマダンが明け、翌日、翌々日とハリラヤのお祭りがあるので、皆その準備の為の買い物客でごったがえしていた。ハリラヤ間近になればなるほど値段も安くなるのだそう。、つまりこの日が一番お安くなる為、人・人・人・・・
 


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ヤシの葉を編んでその中にお米を入れて蒸す粽のようなハリラヤのお祭り料理用の
クトゥパットをあちこちで売っていた。1束で1リンギット(30円程度)
 
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バスにも人・人・人・・・ とても暑いのだが、クーラー付の公共バスはないとのこと。
 






お店の軒にも、空港に行っても、このお祝い用の粽をかたどったデコレーションをしていた。
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この後、サンダカンを後にしてコタキナバル経由ブルネイ・ダルサラーム国へ。コタキナバルへ行く飛行機ではちょっとしたサプライズが。その様子は次へ