久高島 から戻り(久高島の様子は その1その2 で)、本島南部東側の琉球神話ゆかりの場所である東御廻り(あがりうまーい)の場所をいくつか巡ることにした。(東御廻りについては上記の久高島の項を参照下さい)

斎場御嶽(せーふぁうたき) 

ユネスコ世界遺産。
琉球の創造神アマミキヨの琉球開びゃく七御嶽のひとつ。御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称。
15世紀の尚真王の時代に東御廻り最高の聖地と定める。当時の御嶽は男子禁制で、国王さえ入口を越えて入る時には衿の合わせを女性風に改めて入ったのだそう。
1470年に即位した尚円王の王女が初めて聞得大君(きこえおおきみ)に任命されて以来、王女・王妃・王母など王族の女性が代々その職につき、明治12年(1879年)の首里城明け渡しまで存続したが、その就任式である「お新下り(おあらおり)」が行われた場所。

イメージ 1御門口(うじょうぐち) 
斎場御嶽の入口で、拝殿にあたり、琉球最高の御嶽のため、入場できるのは王府関係者に限られており、一般の人達はこの場所から拝んだ。
大庫理(うふぐーい) 
首里城正殿の2階と同様の名称。手前の広間で神女が祈った。 イメージ 3














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寄満(ゆいんち)
  
首里城内にある建物と同様の名称。
国王のための食事を作る厨房。
 






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三角岩 
 











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貴婦人様お休み所の右には、二本の鍾乳石から
今もぽたぽたと滴り落ちる水を下の壺が受けており
儀式に使われる霊水となる。
 

 

 
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三庫理(さんぐーい)
 
首里城内の名称と同様。
三角形の空間の突き当たりをさす。


チョノハナ
 香炉
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久高島遙拝所 
太陽の上がる方向にある神の島と言われる久高島は、ニライカナイ(琉球で伝承される海のはるか彼方の理想郷)への遙拝所として崇拝されていた。
本来、斎場御嶽の久高島遙拝所は別の場所にあるが、いつのまにかこの場所が遙拝所として定着したのだそう。
 


 

ニライ橋カナイ橋

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断崖の上下を結ぶ全長660メートルの連絡橋。100メートルある高低差をカーブしながら眺めることが出来る。

知念城跡

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御東廻りの巡礼地。アーチ部分などを丁度修復中なので、木のつっかえ棒がついていた。






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どの城跡からでも海が見えるようになっているのだが、知念城からの眺め。







玉城(たまぐすく)城跡

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琉球創造神アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつで御東廻りの最終地。城は主郭・ニの郭・三の郭で構成されていたが、現在は根石を一部残すのみ。






イメージ 7岩盤をくり抜いて作られた本丸門は、あがるい(東北東)に向けて開いており、ニライカナイに通じるとされ、久高島も望める。冬至と夏至の日には太陽の光がまっすぐと差し込む。

このグスクの作りは、穴の門を通って女性の子宮に入り、再度出て行くことを示していると、おられた方が説明してくださった。
ごほうら貝を切った断面が丁度この城の敷地やルートに酷似しているのだそう。
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糸数城跡

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14世紀前半の築城と考えられている。
 
野面積みと切り石積みの両方が用いられ、最も高い部分は約6メートル。

奥武島(おうじま)

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橋で結ばれた小さな島にある魚屋さんに寄ってみた。
下段の右から4つ目の赤い甲羅に茶色い斑点のある蟹は初めてみた。
値札には「かにさん1000円」と。
 
 
 
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なかなかカラフルな魚のアラ。
 
 
 
 
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海ぶどうを買う。400円。海を見ながらいただいた。
 
とびいかの一夜干しを作っておられた。
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玉城(たまぐすく)

イメージ 22スーパーに行ってみた。
 
 
 
レトルトに、そーき、てびち、
らふてい、山羊汁など。
 
 
 
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ガーラ、チミンダー、など不思議な名前の魚が売っている。
 
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やはりコンビーフやスパム文化。
 
 
 
 
 
 
国際通りに戻って来て、夕食を。その様子は なかむら家 で。

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