恵那峡に行ったことがなかったので紅葉狩りに、そして近くにある中山道の宿場町である大井宿に行ってみた。

恵那峡

イメージ 1
恵那峡は、大正13年に日本最初の水力発電の大井ダムを建設する為、木曽川をせき止めて造られた人造湖。
上の画像の右上の山は恵那山、恵那峡奥のずっとはるか彼方は御岳山(3063メートル)と木曽駒ケ岳(2956メートル)が望める。
イメージ 2

イメージ 14

水は素晴らしい透明度。高速ジェット船による恵那峡の遊覧をすることにした。

イメージ 3
恵那峡大橋の横にそびえるのは軍艦岩

イメージ 15

イメージ 4
屏風岩

イメージ 5

イメージ 6

上の3つの岩が「品」という字のような形を作っていることから「品の字岩」

この左の川が付知川となり、付知峡へと流れこんでいく。ちょうど付知峡は2週間ほど前に行ってその水の透明度の素晴らしさに驚いたものだがここから流れて出ていたとは。付知峡の様子は こちら

イメージ 7
自然がいっぱいの恵那峡では、オシドリが悠々と泳いでいたり、紅葉が照り映える湖面を鵜がはばたいていたり。野生のオシドリはこの時初めて見たのだが、その綺麗な姿をすっかり気に入ってしまったので、この翌日は岐阜に観に行くことにした。その様子は折って。
イメージ 8

イメージ 9

湖畔のさざなみ公園は紅葉やイチョウが見頃となっていた。

イメージ 10

千畳敷の岩では、のんびり景色を楽しみながらお弁当を食べる人の姿も。

イメージ 11
傘岩
この岩は、特別天然記念物に指定されている。トルコのカッパドキアを彷彿とさせられた。

イメージ 12
恵那峡そばの田んぼの横を車で走っていると、野生のキツネに遭遇。野生のキツネを見るのは初めてだったのでビックリ。

お昼はお蕎麦を。その様子は 照久庵 で。中津川同様に、栗などの和菓子で有名な恵那。以前に「恵那川上屋」の物を食べたことがあったので、今回は別のお店3軒の栗きんとんを食べ比べるべく、それぞれ寄ってみた。その様子は 恵那寿やひとつばたご大津屋 で。

大井宿

大井宿は中山道の46番目の宿場。美濃16宿の中で随一繁栄していたそうで、最盛期には41軒もの旅籠があり、枡形が6か所もあった。東西の全長は6丁(710メートル)。

イメージ 13

大井村庄屋 古山家 
江戸時代に屋号を「菱屋(ひしや)」として酒造と商売をし、享保年間から幕末までの150年間、大井村の庄屋を勤めた旧家。
イメージ 16
ガラスの格子戸は後世に造られたもので、昔の跳ね上げ式の大戸が未だついていた。

イメージ 17
 
イメージ 18
奥座敷には床の間や違い棚などがあり、中座敷の手前の座敷との間には神棚が祀ってある。イメージ 19
2階は養蚕の為の蚕を置き、その横の2階倉庫には、滑車か梯子によって荷物を上げ下ろしするように扉がついていた。この古山家はもともと仏教徒だったそうだが、途中から神道に変わったのだそう。(この大井宿よりも北の地方では廃仏毀釈が行われたそうだが、この家はその為ではないとのこと) 

大井宿本陣跡 
イメージ 20
大名や公家や瀑布の公用役人などが休んだり泊まったのが本陣。昭和22年に母屋が焼失したが、本陣の安土桃山様式の門周辺だけが現在残っている。
  
宿役人の家 
この林家は、文化2年(1805年)に本陣家より分家して大井宿役人の問屋役を務め、名字帯刀を許された。宿役人は、道中の荷物や人の輸送や飛脚の手配などの業務を行ったのだそう。
イメージ 21
 
 
大井村庄屋 古屋家 
江戸時代から商いをし、天保元年から20年間ほどは庄屋を勤めた。
イメージ 22

長屋門 
イメージ 23

寿老の滝

イメージ 24
 
峰山(屏風山)の麓にあり、高さ10メートルの滝。「養老の滝」に対し、老いをことほぐということで「寿老の滝」と名付けられた。

イメージ 25