清洲城

イメージ 5愛知県清須市にある清洲城に行ってみた。

名古屋城築城よりも前、室町時代の応永12年(1405年)に、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てたのが清洲城の始まりと言われている。
弘治元年(1555年)に織田信長が入城、本能寺の変の後、信長の跡目を決める清洲会議の場ともなった。
関ヶ原の戦い後の慶長15年(1610年)、徳川家康は、清洲城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転する「清洲越(きよすごし)」が行われた。これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清洲から名古屋へ移り(神社3つ、寺院100余り、70近い街や町並み全部、五条橋までが移転、清洲城とともにその城下町は歴史から姿を消し去ったが、名古屋城築城に際し取壊した清洲城の資材が再利用され、特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は、「清須(洲)櫓」とも呼ばれ清洲城天守の古材でつくられたと言われている。

現在のこのお城は平成元年に建てられたもので、フィギュアスケートの織田信成選手が名誉城主なのだそう。


決して大きなお城ではないが、周囲に高い建物がないことから、天守閣からの眺めが非常に良い。
高いビルが建っているのが名古屋駅、そこに新幹線が向かっていた。
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少し南東に目を転じれば、名古屋駅から東の栄界隈や名古屋城、そしてさらに東の東山タワーも見える。
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名古屋城の右横奥にある
茶色の建物は県庁。







北東に転じれば、雪を頂いた木曽の御嶽山や南アルプスが臨める。
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御嶽山のずっと手前には小牧城が見えた。






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はるか彼方ではあるが、
南アルプスの峰々

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小牧空港に着陸する飛行機も見える。


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北西に転じれば、岐阜の金華山にある
岐阜城の陰が山の上に。

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実際の清洲城は、現在のお城の場所ではなく、この五条川を渡った反対側にあったと考えられており、京都や大阪に並んで大きな都市だったのだそう。

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お城跡の碑の横には、
信長の祠が祀ってある。






清洲宿

清洲越し以降は農村となっていたが、江戸時代に入り、清洲には名古屋から大垣に通じる美濃路が通り、宿駅として栄えた。
しかし、寛文8年(1668年)に火災があり、本陣、問屋場などの宿駅施設が焼失し、宿場は同地から現在の清洲2丁目(新明町)に移転され、宿場町として明治になるまで機能していたのだそう。

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これは本陣の門で、1878年に明治天皇も訪れられたそうだが、1891年の濃尾地震で建物が倒壊・火災に遭い、正門だけが再建された。