今年は、フェルメールなどオランダを始めとしたフランドル地方の絵画展が多い。
「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」 を名古屋市美術館で、「フェルメール 地理学者とオランダ・フランドル絵画展」 を豊田市美術館で観たので、だったらフェルメール3点が来ている京都市美術館にも行こうかと。
(画像は全てHPより)

人々のやりとり しぐさ、視線、表情

宗教画や寓意画の絵画を経て、肖像画、風景画、そして風俗画が描かれるようになった時代。
17世紀の社会では、地位ではなく富の多さによって評価され、地位をお金で売買されることもあったのだそう。

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クウイレイン・ファン・ブレーケレンカム
「感傷的な会話」 1661~62年頃
マナー入門書やデートスポット解説本まであった。
あまり大きく身振り手振りはしない、女性は目を合わせないなど。
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ヤン・ステーン
「生徒にお仕置きをする教師」 1663~65年頃
当時の学校は年齢に関係なく1クラスで、
生徒が各人の課題を先生にみてもらうシステム。
画家のステーンには10人の子供がおり、
彼らがモデルとなっている。

家族の絆、家族の空間

ヘンドリック・マルテンスゾーン・ソルフ
「ヤーコプ・ビーレンスとその家族」 1663年
結婚15周年で描かれたもの。
主人と息子が魚を、夫人はリンゴを剥き、鳩を調理する娘、楽器を持った息子。
手前の食材は豊さの象徴で、奥には召使がいる。
綺麗な食器や鍋は女主人の目が行き届いていることを示している。(画像なし)

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ピーテル・デ・ホーホ 「中庭にいる女と子供」 
1658~60年頃
右奥にはワインを飲む男女、手前は召使と子供。
当時、召使の居る家庭は10~20%だった。
かごのパンは日々の糧の感謝を、子供の持つ鳥かごは
自由よりも安全で平和を貴ぶ精神を表している。
庭のホウキは、住む人の心が美しいという意味。
壁に囲まれた家は鳥籠の中の人間をも暗喩。


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ヤン・デ・ブライ 
「アブラハム・カストレインとその妻 
マルハレータ・ファン・バンケン」 1663年
他の肖像画よりもよりカジュアル。


職業上の、あるいは学術的コミュニケーション

当時のオランダは、ヨーロッパで一番の識字率を誇っていた。17世紀には新しい法律書も作られ、農村部まで広まって行った。また、弁護士に対して画家は批判的に描いていることが多い。

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ヤン・リーフェンス
「机に向かう簿記係」 1629年頃
レンブラントと共同のアトリエを持ち、
レンブラントの良きライバルでもあった。



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コルネリス・デ・マン
「薬剤師イスブラント博士」 1667年
肖像画と風俗画を融合している。
薬剤師が着ているのは、当時はやていた日本の着物。
机の骸骨は限りある命を意味している。

手紙を通したコミュニケーション

当時のオランダは識字率が非常に高く、郵便制度が発達しだした。電話もない時代、手紙が初めての伝達手段だったので、手紙の書き方ハウツー本まであり、フランス語で書かれたラブレター指南書をオランダ語に訳したものが出版されブームとなり、手紙のカリグラフィー(飾り文字)はステータスシンボルともなった。
色々な手紙の文例集もあり、中には、親が結婚を許さない理由を挙げてあえて断る文例などもあったのが面白い。手紙は受け取る人が料金を支払うシステム。

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ピーテル・デ・ホーホ
「女に手紙を読む男」 1670~74年頃
左の窓から光がさしているのだが、
手紙を読む男性は暗い中で、持った手紙に
光が当たっているのが印象的だった。



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エドワールト・コリエル
「レター・ラック」 1703年
だまし絵の画家。
会場では額に入っているが
もともとは額縁なし。



ヨハネス・フェルメール

1632年デルフトに、宿屋と美術商を営む家に生まれ、名門一族のカトリーナを夫人とする。
21歳から画家として11人の子供の父親となるが、43歳で没する。
優れた画家は宗教画や歴史画を題材にしており、フェルメールの初期の作品はキリスト教の絵があり、宗教画家を目指していた。
しかし、絵画が教会に飾られなくなっていき、庶民が裕福になるにつれ、風俗画が流行っていき、フェルメールも亡くなるまで風俗画を描くこととなり、生前から高い評価を得ていた。
ただし、風俗画おきまりの読み解く材料を描かず、独自の風俗画を描いている。
現存する35点とも37点とも言われるフェルメール作品の中で、手紙を扱った作品は6点。

イメージ 3「手紙を読む青衣の女」 1663~64年頃
修復(去年から今年にかけて)
以前は絵を保護する透明の樹脂が黄ばんでいたが、今回明るい本来の色になった。
青色は、アフガニスタンのラピスラズリ(ウルトラマリン)という宝石を砕いた青の絵の具は高価で、画家が契約書にラピスラズリの使う量を書きこんだほどだったが、フェルメールはふんだんに使っており、服や椅子のほか、壁の下地にも使っていた。
修復後、椅子に真鍮製の釘が打たれていたことがわかった。
机の上には真珠の首飾りがあるが(画像ではわかりにくい)東洋からのもので女性の憧れ。
背景の地図はオランダの地図。当時は絵画のように地図を壁にかけることが流行っていた。修復により、地図を数センチ大きくフェルメールが描き足したしていることもわかった。
地図は、恋人が船出していて不在を示している。
当時、アジアへ手紙を出した場合、約1年かかるので、その返事を待つと2年かかった。
フェルメールは後に、背景の地図も消していくなど、徐々に消去していく作風となる。この絵には地図は描かれているが、すでに窓は描かれていない。
以前にライクスミュージアム(アムステルダム国立美術館)でこの作品は観てはいたが、その時は修復前だったので、今回、明るく綺麗になった作品も観ることが出来て良かった。

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「手紙を書く女」 1665年頃

背後の壁に掛かっている静物画に、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器が描かれているが、音楽は愛と調和の類義語として表現されている。
これも真珠の首飾りが机に置かれている。
真珠の耳飾りはとても大きいが、当時は未だ日本で真珠の養殖がされていない頃なので、このような大きさは存在しない。



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「手紙を書く女と召使」
 1670年頃
床にはしわになった手紙が落ちているが、書き損じた手紙とも相手からの手紙に激怒して投げ捨てたとも言われている。
書いている手紙の意味を読み解く材料は、壁にかかった聖書の「モーゼの発見」の一場面の絵画。
敵対者の争いを鎮めるという意味のある場面から、恋人との和解を求めた内容を書いていると想像されるのだそう。








フェルメールの作品はもとより、古くからの事物を絵と文字(詩)で表したエンブレムや、寓意を表すアレゴリーなるものが絵に描きこまれているので、(太陽は真理・生命、月は移り気、薔薇は愛、百合は純粋、真珠は人格の統一、麦の穂は北条、桃は真実などなど・・・)その意味を知って見ると面白かった。