多賀大社・胡宮神社・百済寺(その1) に行き、金剛輪寺・西明寺(その2) に行った後、彦根城 に足を延ばしてみた。

玄宮園
夕方に到着したので、天守閣よりも先に閉まる玄宮園に行ってみることにした。
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大名庭園で、近江八景を模して造られた縮景園。
第四代当主が延宝5年(1677年)に造営したもの。







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二季桜なる秋にも開花する桜が咲いていた。

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楽々園
旧藩主の下屋敷。1679年に完成。
井伊直弼が1815年にこのお屋敷で
生まれたのだそう。
あいにく、現在改装中だった。




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黒門橋

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馬屋 (重要文化財)
元禄時代に建てられた馬屋。21頭をつなぐことが出来るL の字型の馬屋は現在、彦根城だけに残っている。彦根藩では、戦のない時代であっても馬術を重んじ、250石以上の藩士は馬扶持(ふち)を支給されて馬を所持していた。当時の馬は、現在のサラブレッド種などよりも小さく、木曽馬などもあった。

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天秤櫓
(重要文化財)


鐘の丸から天秤櫓に通じる所に廊下橋がかかっており、そこを通らなければ本丸には行けない造りとなっていて、いざという時にこの橋を落とすようになっている。




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天守閣 (国宝)

牛蒡積と言われる石垣の上に、三階三重の天守閣が乗っている。
京極高次が築いた大津城から移築されたと言われ、慶長12年(1607年)頃に完成。

国宝に指定されているお城は4つのみで(他には姫路城、松本城、犬山城)、今回彦根城を訪れたことでようやく4つ全てに行くことが出来た。




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天守閣の入り口手前には 「天守閣への現在の待ち時間30分」 などと看板があり、こんなに人気があるとは知らなかった。
2階から最上階に上がる階段は、傾斜が62度もあって一段が非常に高くなっており、なるほど混むわけだ。

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天守閣最上階











天守閣からの眺め
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一部雪をいただいた伊吹山は夕焼けで
うっすらピンク色になっていた。





南西に目を向けると近江富士(三上山)などが。
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天守閣から降りてくると、天守閣がライトアップされていた。


屋根の棟の端に乗せるものとして、しび、鯱(しゃち)、鬼瓦、獅子口などがあるが、本来の役割は熨斗瓦を積み上げた棟の両端から雨水が入らないようにする為のものだった。
もともと、インドで門や入り口に、敵を防ぐ力があるということで、マカラという怪魚を飾っていた。
そのマカラが中国に伝わると、怪魚を天上に住む魚尾星と解釈し、「しび」から鯱へ変わった。
そして、しびとは違い、防火を願ったものへと変化し、鯱が禅宗によって日本にもたらされた。
鯱を城郭に用いた最古のものは、信長の安土城とのこと。






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太鼓門櫓 (重要文化財)
本丸への最後の関門。
東側の壁がないが、登城合図用の太鼓の音を
響かせる為だと考える説もあるのだそう。
長く、彦根山にあった彦根寺の山門を移築した
ものと考えられていたが、昭和31年の調査で
それは否定されたものの、どこのお城の城門が
移築されて来たのかは今もって不明とのこと。


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時報鐘
城全体に響くようにと鐘の丸から移された鐘。






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帰る頃にはすっかり暗くなっていて、お堀や大手門橋も綺麗にライトアップされていた。

この日は良く歩いたのでとても疲れたが、湖東の数々のお寺や神社を巡り、彦根城にも行けて、非常に充実した一日となった。