5丁目にある帝国ホテルでの特別ガイドツアーに参加し(その様子は その1 で)、5丁目と4丁目を見た後(その2 で)、順次見学していくことに。

2丁目

札幌電話交換局 《重要文化財》旧所在地 札幌市大通 明治31年(1898)
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安田銀行会津支店 旧所在地 福島県会津若松市大町 明治40年(1907)
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東松家住宅《重要文化財》旧所在地 名古屋市中村区船入町 明治34年(1901)頃
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ガイドツアーに参加した。

東松家住宅は名古屋の中心部堀川沿いにあった商家。東松家は明治20年代後半までは油屋を生業としていたが、電気の普及で行燈が使われなくなり、その後は昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた。

正面の壁が3階まで直立していのは日本の建築になかったもので、ビル化する商店建築の先駆け。
江戸時代にはいかに富裕でも、武家以外のものが3階建ての建物を造ることは許されず、慶応3年(1867年)になってはじめて京都、東京でこの禁令が解かれ、以後順次全国で認められるようになった。しかし、大正8年に市街地建築物法により木造高層住宅が禁止されたので、3階建以上の木造住宅はわずか50年ほどの間しか造られなかったのだそう。
 
1階の板の雨戸には、泥棒避けの為に縦に金属が入れられている。
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 1階の床の間。江戸末期は未だ平屋で、いくらお金持ちの商人でも身分は下位だった為、武家にはばかり、狭い床の間となった。
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2階は明治20年に増築された。身分制度がなくなった為、2階の床の間も立派なものとなった。
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2階にある茶室に向かう廊下は、露地にみたててあえて曲がっており、横の部分は開閉できるようになっている。
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茶室 水屋が併設されていて、水道がひかれる大正時代よりも前までは横の扉を開けると、滑車を使って水が階下から汲めるようになっていた。
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茶室の横の女中の部屋には半円のかけ障子があり茶室の扉を閉めることで明かりが入り、お客さんが
到着したとわかるシステムになっている。
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茶室入り口の扉
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明治34年に建て増された3階には、商談などを行う床の間のある部屋があったり、主人の部屋や、宴を催すご隠居さんの部屋もある。1階からの吹き抜け部分には張り出したバルコニーがあり主人が階下に降りなくても指示が出来た。
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1階から2階に上がる階段の下から4段は引き出しとなっている。銀行業を行うにあたり、金庫などもあったが、あえて預かったお客さんの印鑑などはここに入れられていた。100年たっていても、全く階段のひずみにより引き出しが開け閉めできなくなることはない。
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東山梨郡役所《重要文化財》旧所在地 山梨県山梨市日下部町 明治18年(1885)
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1丁目

三重県庁舎《重要文化財》旧所在地 三重県津市栄町 明治12年(1879)
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鉄道局新橋工場 旧所在地 東京都品川区大井町 明治22年(1889)
昭憲皇太后御料車(5号御料車)
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日本庭園からは、御嶽山がくっきりと綺麗に見えた。
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3丁目

芝川又右衛門邸 旧所在地 兵庫県西宮市上甲東園2丁目 明治44年(1911)
ライト建築の帝国ホテル玄関とほぼ同時代の建築として、比較するのも面白いとガイドをして下さった方がおっしゃっていたが、あいにく閉園時間となり中までは見学できず。。。
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蝋梅が綺麗に咲いていた。
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前回ここに来た時には、1丁目からゆっくり見ていたところ、時間が足りずに割愛せざるを得なかった為、今回は5丁目から順次回ったのだが、やはり最後は時間切れとなってしまった。。。