犬山祭は、寛永12年(1635年)に始まる針綱神社の祭礼で今年で378回目。今年は満開の桜とお祭りの日程が重なったので観に行くことにした。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

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からくり人形を乗せた3層の車山(やま)が13両繰り出すお祭りは、国宝の犬山城が見下ろす広場に集結し、朝10時から一両ずつ、最上段の覆いをはずして、針綱神社にからくりを奉納して行く。

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人形による「からくり」の「山車からくり」による祭は全国各地で行われているが、その7割が中部地区にあるのだそう。何故、この地域に多いのか?

享保6年(1721年)、八代将軍吉宗が「享保の改革」で全ての分野の機械や機器の発明や改良を禁止したが、庶民の祭礼や見世物は例外とした。尾張七代藩主の徳川宗春は、この政策に反発し、史上最大規模と言われた東照宮祭(現在の名古屋東照宮 先日桜を観に行ったのでその様子は追って)を開催し、京のからくり人形師を呼び寄せて精巧な山車からくりを行った。京では、室町時代から江戸時代初期に優れたからくり職人が集まっていたのだそう。そのようにして「祭礼」という名目とし、木材の集積地という立地条件もあったことから、この地方独自のからくり文化が発達。東照宮祭のからくり技術は尾張藩の影響下にあった各地に渡り、現在でも犬山、知多半島、美濃を始めとする中部各地の祭で受け継がれることになった。

一方、京都の祇園から長浜や金沢へと渡ったからくり技術は、尾張藩とは別の発展をとげ、富山や飛騨にも伝わり、高山祭をはじめ各地で受け継がれている。つまり、江戸時代に街道を渡って2つの「山車からくり」のルートが受け継がれることになった。(「感動十景」より抜粋)


尾張ルート : 大垣祭(岐阜県大垣市)、久田見祭り(岐阜県八百津町)、犬山祭(愛知県犬山市)、若宮まつり(名古屋市)、はんだ山車まつり(愛知県半田市) など
北陸ルート : 高山御車山祭(富山県高岡市)、古川祭(岐阜県飛騨市)、春の高山祭(岐阜県高山市)

尚、上述の名古屋で一番の規模をかつてほこっていた東照宮祭は、戦前は9両の山車があったが戦火で焼失、現在の 「なごや祭」 のルーツとなっており、唯一現存している山車は東区筒井町の「湯取車」の一両のみ。
一昨年の 「なごや祭」 では名古屋開府400年記念で9両の山車が集まってからくりを披露した。その様子は こちら。 湯取車が参加する 「筒井町出来町天王祭」の宵祭りの様子はこちら、千秋楽の様子はこちら

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曳山は、それぞれの土地で「鉾(ほこ)」「山車」「屋台」「車楽」などと呼ばれているが、犬山では「車山」と標記して、「やま」と言い習わされている。

広場では、からくり奉納後、見どころである「どんでん」と言われる担ぎ挙げて行う方向転換に、拍手が湧きおこっていた。
画像は、右側が担ぎ挙げられているので車山が傾いているところ。


一両の重さが約3トンとも言われているが、とにかく担ぎ手の人達のパワーが凄い。

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驚いたのは、車山の中に居て、低い姿勢で押している全く目立たない文字通り縁の下の力持ちの人達も。
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色々なからくりが披露されていく。

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梅の木を手に取った菅原道真


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木の上に片手で逆立ちしてもう一方の手で太鼓をたたいたり、ぐるぐる回る曲芸も。

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中段に乗っている前人形ですら舌を出してみたり。かと思えば愛嬌ふりまく大黒さん。

お社と鳥居と思いきや・・・ このカラクリはとても面白かった。ご覧あれ~


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13両の車山がからくりを奉納した後、針網神社からはご神体が運び出された。


夜には、一両に365個の提灯が灯されて町を曳き回され、またとても見応えがあった。その様子は その2 で。