この日は、名古屋市東区の出来町と筒井町の 天王祭。2つは別個のお祭りではあるが、それぞれ千秋楽であるこの日の午前中に 徳川園山車揃え が行われ(その様子は こちら)、午後からはそれぞれの町内で「出合い」や「答礼」と言われるものが行われた。
出来町天王祭
の千秋楽は、日中に行われた(その様子は こちら)が、筒井町天王祭 は出来町よりももともとお祭りが1日長く3日間行われ、千秋楽の夜も、つまり三夜連続で夜の曳き回しが行われる。

筒井町には、湯取車と神皇車があり、いずれも昭和48年(1973年)に、名古屋市の有形民俗文化財に指定されている。

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神皇車(じんこうしゃ)
江戸後期の文政元年(1818年)に旧広井村(現在の名駅4丁目)で造られ、明治4年
(1887年)に筒井町が購入。その当時のお金で250円で買ったのだそう。昭和28年に黒だったボディを朱色に変更したそうで日本で朱色の山車はこれだけかも?とのこと。

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湯取車(ゆとりぐるま)
江戸時代前期の万治元年(1658年)に作られたものが天保2年(1831年)に当時の情妙寺前(現在の筒井町4丁目)へ譲られたもので、名古屋に現存する山車で最も古い。

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夜バージョンとして、前列の太鼓人形と笛人形はほっかむりをしているのが可愛かった。

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山車の提灯に火入れが行われた後、それぞれの町内へ曳き出される。

湯取車は、車道通を南下して桜通まで行きUターン、神皇車は筒井町商店街を西は代官町との境までを東西に曳き出されながら、それぞれ「出合い」の筒井町商店街入り口へ。何でも、昔に比べて、道幅が広くなったので、山車の舵や曳きの方々の見せ場が少なくなったのだそう。

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筒井町商店街入り口で2基が揃う「出合い」。(「出会い」と表記されているものもあるが。)

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それぞれの町内のお役の方々や、綱頭を始め、楫方(かじかた)や切師(担ぎ手)などの若連中も向き合う。文言の交換?は良く聞き取れなかったが。

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そしてお互いがからくりを披露しあった後、まずは神皇車の担ぎ回し。

担ぎ手の切師さん8人が持ち上げ、1回転半した後で、担いだまま後ずさりして、筒井町商店街へと入って行ったのには、観客からも拍手喝采。



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湯取車は、車輪を地面につけたままでグルグルと開店させる「ズリ」を行ったが、通常は1回転程度のところを2回転半。最後の方は本当に辛そうで、観客から声援の拍手をもらって見事にやり終えた。



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筒井町の神皇車の本陣は、建中寺の門前。そこにはお祭りの間ずっと縁日の屋台が出ていてお祭りムードを盛りあげている。

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建中寺山門前に帰って来ると、関係者の挨拶、万歳の後、各人の扇子や鉢巻が投げられ、まわりの観客がそれをもらおうとする。

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そして、関係者一同が建中寺の総門横の神社にお参りをして、再度からくりを奉納する。

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建中寺の総門前。
因みに、建中寺は、慶安4年(1651年)に第二代尾張藩主の徳川光友が父の菩提を弔う為に建立。この総門は、慶安5年(1652年)に建立されたもので、三門と共に一番古い。

昨年はこの筒井町山王祭の宵祭りと千秋楽を楽しんだが、今年は、午前の山車揃え、午後の出来町山王祭、そして夜の筒井町山王祭と、お祭りを堪能した一日となった。