テヘランの空港に到着。
機内から出る前に、女性は皆、外国人であれ、頭にはスカーフ、そして生足を出さない恰好や長袖の上着が必須となる。
入国時、宿六の検査官はことごとく丁寧にパスポートのページを見ていて時間がかかったもののOK。私の検査官はとても早く処理してくれたのだが、私のパスポートがアメリカはNYで発行されたものだと気付き、宿六のパスポートも同じくNYで発行されたものなので、一旦通過して私を待っていた宿六も結局呼び戻されて、ともども別室へ。。。両手の指紋を取られるだけで済んだが、おんぼろな機械だったのでやたらと時間がかかり、出迎えの通訳ガイドさんに心配をかけることに。通訳ガイドさん曰く、彼のお客さんで別室に呼ばれた日本人は初めてだったのだそう・・・
 
やれやれ時間はかかったが無事入国。テヘランの観光は最終日にまわし、すぐにイスファハンに向かう。
 
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ハッサンオポ塩湖
塩工場がそばにある。
高速道路からはるか彼方に見えたのだが、昔は高速道路のそばまで塩湖が広がっていたのだそう。
 
 
 
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山に何かの文字が。
広告?と思いきや、9月22日がイラン・イラク戦争開戦日で、その日から10日間は、色々な催しが行われるが、そのことについて書かれているとのこと。
 
 
イスファハンへ行く途中にあるテヘランから南135キロの街、ゴム(=コム)Ghom に立ち寄った。
 
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イランでは90%がシーア派だが、この街はシーア派の聖地で、イランで一番宗教色が強く、神学校がある。
1979年のイスラム革命もこの街から始まった。
また、絨毯でも有名なのだそう。
ゴムの町中は狭い為、バスは入れないように規制されており、現在、隣の街の霊廟まで行く為のモノレールが建設中だった。
 
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ハズラテ・マースーメ廟
 
シーア派はエマームという称号を持った人達を貴ぶのだが、その第8代エマームだったレザーの妹で9世紀にここゴムで亡くなったファーテメの廟。イランでは唯一の女性を祀った霊廟。
 
サファヴィー朝(1501年~1722年)の時代にアッバースⅠ世らによって造られた。
 
イスラム教徒以外は入れないのだが、正面の南門ぎりぎりまでは入って良いと警備の人に通訳ガイドさんが交渉してくれたので、良く見ることが出来た。
 
現在、ナノテクのタイルで修復中なのだそう。
 
 
 
 
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丁度、お昼のお祈りの時間帯を告げるアザーンが流れ、人々が行きかっていた。
 
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女性の多くはチャードルと言う黒装束で、男性は独特のターバンのようなものと長い上着の服を着た神学者の人が多く歩いていた。旅行中にこれほどの神学者を一同に見たのはこの街だけ。普通の街ではOKな男性のジーンズ、半袖もこの街ではあまり見かけず、髭を生やした人も多かった。
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右の画像の女性は口元を隠しているが、基本的にイランの女性は顔の部分は全部出しておられ、テヘラン、イスファハン、シーラーズなど都会ではスカーフをずっと後ろまで下げて前髪や頭頂部も見えるぐらいの人も多かった。女性の羽織るチャードルは、単なる四角い布状態のもので、それを頭から羽織るだけ。私も後日、他の霊廟内部を見学する際に羽織らなければならなかったが、頭からはずり落ちやすくて困ったのだが、着慣れている人達は凄い。また、頭部分にゴムが付いていてはめて落ちないようにしたものや、オフィスなどで仕事をする人の機能性を考えて、袖部分があるものもある。
 
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イラン旅行中、どこでも見かける募金箱のサダヘ。
バクシーシ(喜捨)をする為のもので、お金を投じている人を
見かけることもあった。
 
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だぼだぼのズボンの男性陣。クルド人のズボンではあるが、クルド人ではない人も穿きやすいということで穿いている人がいるのだそう。ただし、都会ではほとんど見かけず、農作業をしている田舎の人達が多く着ていたような印象だった。
 
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モフというもの。
お祈りの際に、かがんで頭を下につけるが、
これを絨毯に置いておき、頭をこのモフにつける。
 
西暦680年に起こった第3代エマームの
ホセイン(フサイン)の殉教した土地の土と
いうことのなのだそう。
 
 
 
 
 
 
 
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宗教色が強い街というだけでなく、
お菓子でも有名。
街にはあちこちにお菓子屋さんが
立ち並ぶ。
 
 
 
 
 
 
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原産のピスタチオ使ったお菓子が多くて美味しそうだったのだが、ポーションが大きくばら売りがなかったので、この時は買わず、旅行中盤で訪れる同じくお菓子で有名なヤズドで買うことに。
 
 
 
 
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昼食を。
 
アルコールが一切ないイランでは、これからずっとお世話になる飲むヨーグルトのドゥーグを。日本の飲むヨーグルトのように甘いものではなく、もっとさらっとしていてほんのり塩分とミントがきいていて、さっぱりしている。
ドゥーグは本当に数多く色々なメーカーのものがあり、それぞれ味が違うので、旅行中、色々とためしてみた。
 
 
 
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スープはポタージュ系で、ハト麦が入っていた。
一杯分がとても多かった。
 
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今後、ずっと似たようなサラダが出てくるのだが
とにかく野菜達が元気いっぱいで、トマトは太陽を
たっぷり浴びていて濃厚で美味。
きゅうりもみずみずしく美味しい。
タルタルソース風のドレッシングで食べる。
 
 
 
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キャバーベ・クービーデ
牛ひき肉のケバブ。
つなぎが多く入っているとは思えないのだが、とにかくどうやったらこんなにふんわり仕上がるのか不思議なぐらい柔らかく、美味だった。
お店によってそのミンチの混ぜ具合などは全て異なるそうで、ここほどの柔らかいひき肉のケバブは旅行中には出会わなかった。
 
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サフランライスの乗ったチェロウ(白米)
バターを混ぜてから、ケバブと一緒に食べる。
イランのお米はとても細長くて日本のお米の2倍ぐらいの長さ。
イランの方達は、朝はパンや麦粥やヨーグルト粥?が多く、お昼は一番がっつりとお米と共に食べるのだそう。
この旅行中、日本にいる時以上に、お米を食べたような気がする・・・
 
 
 
 
昼食後は、カシャーン という街にある世界遺産の フィン庭園、そして アブヤーネ村 へ行った。
その様子は追って。