平泉には、世界遺産が5つもある。まずはそのうちの2つを。

毛越寺(もうつうじ)
奥州藤原氏二代基衡の建立し、三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営された。鎌倉時代の歴史書である 「吾妻鏡」 によれば、金堂円隆寺(今は遺構のみ)を中心に堂塔が40以上、禅坊は500以上あり、中尊寺をしのぐほどの規模だったとのこと。伽藍の背後には塔山がそびえ、全面には大泉が池が広がる 「浄土庭園」 が築かれていた。奥州藤原氏滅亡後、全ての建物が焼失、今は遺構が残っている。

イメージ 1
大泉ヶ池
かつて、池には南大門から中島、金堂円隆寺へと続く2つの橋がかけられていた。池は海を表現している。右側の州浜は、海岸の砂州を表現しており、入江を形作っている。

イメージ 2


本堂
毛越寺一山の本坊。平安時代作の薬師如来が御本尊。
脇には日光・月光両菩薩。
イメージ 3
















イメージ 9





















イメージ 4

















イメージ 5






開山堂

毛越寺を開いた慈覚大師円仁をお祀りする堂。
天台宗第三代座主となり、日本初の大師号を授けられた。







イメージ 6





















イメージ 10
遣水(やりみず)
庭園の発掘調査中に往時の姿のまま発見された。遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を覗いては例が無く、平安時代の遺構としては唯一なのだとか。遣水は池に水を取り入れる水路であり、玉石を底に敷き詰め、流れには水越し、水切りの石など水の曲がり角や池への注ぎ口に石組みを配しており、「曲水の宴」 にも使われている。

イメージ 7




常行堂
本尊は宝冠阿弥陀如来。奥殿には、秘仏の摩多羅神を祀ってあるのだとか。現在の常行堂は、享保17年(1732年)に再建されたもの。






イメージ 11





地蔵菩薩

餓鬼道の仏菩薩。
手に持つ宝珠は如意の玉とも言われ、信仰すれば願い事が叶うとのこと。
イメージ 12













イメージ 13








二代基衡は、金堂は金銀をちりばめ、紫檀赤木などを継ぎ、本尊として薬師三尊と十二紳将像を安置。仏像の作成にあたっては、京都の仏師である雲慶に依頼し、その報酬として砂金100両、駿馬50頭、鷲羽100尻、アザラシの皮60枚や、絹、山海珍味など、そしてさらに特別報酬として生美絹(すずしのきぬ)を船3艘で送った。雲慶が戯れとして生美絹より練絹の方を所望すると、改めて練絹を船3艘で送って京都の人達を驚かせたのだとか。










旧観自在王院庭園
イメージ 8
藤原氏二代基衡の妻が建立した寺院で、伽藍は東西120メートル、南北240メートルの土塁に囲まれており、この観自在王院の西辺南北土塁と、毛越寺の東辺南北土塁の間は全面玉石敷きで牛車を止めた車宿跡もみつかっているとのこと。


何年も前のゴールデンウイークに来た時は池の印象ぐらいしか残っていなかったのだが、今回は、素晴らしい紅葉にしばし時が経つのも忘れてしまうぐらいだった。この後、中尊寺、無量光院跡 へ。その様子は追って。