世界遺産になっているストーン・タウンに行く為、アルーシャから空路、ザンジバル島へ。

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ARK 13:00発 PW423便 ZNZ 14:20着
アルーシャ空港もたいがいローカルで小さな空港だったが、ザンジバルの空港は待合室の建物が現在改築中で、飛行機の駐機場横のテントがあるのみ。

ザンジバル島は、東京ドーム32個分の大きさの島で、人口100万人。
地盤が軟らかい為、高い建物でも3~4階まで。
最初は誰も住んでいない島だったが、15世紀ポルトガルがスパイスの輸出拠点として入植し、その後、1964年までアラブのオマーンが治めていた。1964年に、タンガニーカ共和国と、ザンジバル共和国が併合し、タンザニア連合共和国が誕生。タンザニア本土(もとタンガニーカ)では、ザンジバルはタンザニアの一部としか話していなかったが、いざザンジバルに来てみると、皆、自分達はタンガニーカではなく、ザンジバルだと言うスタンスなのが面白かった。
タンガニーカは、ドイツやイギリスの植民地となっていたが、ザンジバルはイギリスは統治せずに守るだけで、その為、タンザニア本土はキリスト教徒などが多いのに対し、今でもザンジバル島はイスラム教徒が大半を占めている。
近くにはメンバ島、ペンバ島など数々の島があるが、メンバ島はかの大富豪のビル・ゲイツ氏が購入。

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セレナインホテルへチェックイン。













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ウエルカムドリンクはとっても濃厚な
マンゴージュース。
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ザンジバルも決して治安が良くないのだそうで、以前、海から強盗団が海岸沿いのホテルに船で乗り付けて来たこともあるとか。
ホテルの玄関側のみならず、海側には銃を携帯したガードマンが24時間常駐。





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これは部屋ではないのだが、各フロアにお休み処のように、各階にベッドが置いてある。

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もともと電話局だったそうで、色々な古い器具や、
調度品などが展示されている。


発振回路 1930年のもの。



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このベルトは、スルタンの姫が身に着けていたもの。



銀のネックレスは、ザンジバルのスルタンの女性が 
結婚する際に身に着けるもので、銀は悪魔避けや 
病気から身を守ると考えられていた。




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バオゲーム
64個の実をそれぞれ2個ずつ穴に入れて遊ぶもので、
何世紀にもわたり、タンザニアで行われて来た。

















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旧市街のストーンタウンを翌日案内してもらうことになっていたので、とりあえず、我々だけで近所をウロウロ散策することに。







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港には造船所もすぐ横にあり、
ダウ船などを造っていた。






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旧市街のストーンタウンは狭いが、道が非常に入り組んでいて、迷路のよう。
モロッコのフェズとまではいかないが、イスラム教の人達はこういう道の造りがお好みなのかなぁと思ってみたり。
フェズの様子は こちら





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行った時はラマダンの真っ最中だったので、
食べ物屋さんは日没後の食事の用意を。
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この後、ホテルに戻ると、ビッグハプニングが。