昨日、9月24日は南アは祭日。

イメージ 1

朝、アムシュランガの海岸を散歩していると、「HAPPY NATIONAL HERITAGE → BRAAI」 などと広告も含めて砂浜に書いている人が居た。一体この日は、ヘリテージデーなのか? それとも ブライデー なのか?

ダーバンのあるクワズルナタール州では、9月24日は 「シャカデー Shaka Day」 。釈迦ではなく、ズールー族の王様であるシャカ王が、1828年9月24日に亡くなったことを受けて、ズールー族が一致団結する運びとなり、それ以降、この日をシャカ王のお墓詣りをして彼を偲ぶ日となったが、全く祭日ではなかった。しかし、ズールー族の政党であるインカタ自由党 Inkatha Freedom Party (IFP) が、アパルトヘイト撤廃後の1995年に、この日を祭日にすべく働きかけ、当時のネルソン・マンデラ大統領がその名を 「ヘリテージデー Heritage Day」 とした。

イメージ 2
ダーバン市街はもとより、近所でも、普段では見られないズールー族の民族衣装の女性を多く見かけた。

赤い上着の女性がかぶっていいる帽子は、ミセスになるとかぶるもの。その左側のスカーフを頭に巻いている女性は普段の格好だが、その帽子の右側の若い女性2人は、ズールー族伝統のビーズ細工が施されたコスチューム。

イメージ 3

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 4
女性に比べて男性は少数派とは言え、頭飾りやサンダルは伝統のスプリングボックの毛皮で作ったものを。

イメージ 11
近くのスーパー2軒(Pick n Pay、高級スーパー WOOLWORTHS)のレジのお姉ちゃん or お姉さま達がとても着飾っていた。
このお姉さまは、上下の服装はもとより、画像では分かりにくいが、頭飾り、ピアス、ブレスレットまでばっちりで、自慢げに写真に写ってくれた。
画像にはないが、インド系のレジのお姉さん達も皆、サリーを着ていて、とても艶やかだった。

一昨日の23日には、宿六の会社の従業員の有志が、ズールー族の人は民族衣装を、インド系の女性はサリーを着て来ていたとのこと。

2005年になってメディアを含む活動家が、当時の 「ヘリテージデー」 では多様な文化の人達には浸透しないとして、「ナショナル・ブライ・デー National Braai Day」 として推進。

イメージ 10
ブライデーのそもそもの立役者である Jan Braai として有名な Jan Scannell 氏は(右画像の白Tシャツ中央の人 画像は I love Durbanより拝借)、大勢でブライをすることが目的ではなく、親しい友人や家族とブライをすること、言葉や宗教や地方が異なっても、ひとつの共通のヘリテージを分かち合おう、それがブライだと。
実際、ブライは、Shisa Nyama (Chisa Nyama) や Ukosa とも言われ、調理する内容も異なる場合もあるが、共通して言えるのはバーベキューであるということ。

アメリカ人がサンクスギビングデーを、アイルランド人がセントパトリックデーを、フランス人がバスティーユデーを、オーストラリア人がオーストラリアデーを祝うように、南ア人も毎年ブライで祝おうという趣旨。

2007年には、マンデラさんと共にノーベル平和賞を受賞したキリスト教系のデズモンド・ツツ大司教がブライを認めたことから、「Braai 4 Heritage」 として親しまれるようになったのだそう。

昨日、海岸線などにあるパーキングエリアで、大勢の人達がブライをしていたが、特に民族衣装などを着ている人は見当たらなかった。
イメージ 7

イメージ 8
画像ではわかりにくいが、手前のテントの人達はイスラム教徒のグループ。ブライは、白人も、黒人も、インド人も、イスラム系も、本当に好きと見える。

イメージ 9

ダーバンのスタジアム近くの People's Park では、入場料60~70ランド(約600~700円)を支払えば、ブライ用の炭などがもらえ音楽の生演奏などがあり、公園内で各自好きなようにブライが出来るとあって、大賑わい。あちこちでブライの煙があがっていて、ブライデーというよりもスモーキーデー。

しかし、ある人は、この日の本来の意味 (部族などに基づく) を忘れさせる為に恣意的にブライデーとしていると言っており、実際のところ、現存のズールー族の王様である King Goodwill Zwelithini が現状を憂う声明を発表している。
また、新聞記事のひとつには、この流れはそれぞれの人達のルーツを思い起こさせる日ではなくなり、より西洋文化に陥っているとも書いていた。
確かに、白人の知人に、この日にはどう過ごしたかと聞いたところ、友人達とブライをしたと。何故、白人達もそれぞれのオランダやイギリスや、少数派とは言えフランス、ドイツ、イタリアなどのルーツを偲ぶような格好をするなどして自分達のアイデンティティーを思い起こすことはしないのか?と聞いたのだが、失笑しているだけ。

NYでは、その民族による祭日として設定は一切ないが、毎週のようにパレードが行われ、アイルランド系はセント・パトリックデープエルトリカンパレードインディアンパレードインドのシーク教徒のみのパレードトルコ系パレードドミニカンパレードナイジェリア独立記念日チェコ独立記念日&ポーランドデーパレードペルシャ新年パレード などなど、NYに在住している人達がそれぞれのアイデンティティーを回帰する催しがあった (ジャパンデー なるものも作られたぐらい)。また、NYでは多数をしめるジューイッシュの人達はあえてパレードをする必要もなく自分達のカレンダーに基づいて過ぎ越しなどを祝っていた。

それに比べると、南アの白人は、自分達のアイデンティティーを回帰することなく、ブライをする日となってしまっているだけに、非白人達の一部族の日を転じて祭日を創ったことに、無理があったのかなぁと思ってみたり。
現に、ズールー族があまり居ない地方では、勿論以前からシャカデーも関係がなかったわけで、本来のシャカデーに因んだ日と、ブライデーを切り離して2つにすべきという意見もあるとか。
Shaka Day → Heritage Day → Braai 4 Heritage Day → 果たしてこの後は???