カルタゴのビュルサの丘の遺跡を観た後(その様子は<3>で)、併設されている カルタゴ博物館 に行った。
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左がフェニキア人がいたポエニ時代のカルタゴの地図、右がローマが支配していた頃の地図。
フェニキア人は城壁を築いていたが、ローマ人の時には敵がなくどんどん人口が増えて広がって行った為に城壁は取り払われている。

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入口には、大きな石の球体がいくつも。これはローマ時代のキャノンボールで、未だ当時は大砲はかったが、これを投げて敵を撃退した。

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公衆浴場の壁を飾っていたモザイク。左上の係りの人で、その大きさがわかるかと。
当時、午前中は男性専用、午後には女性専用としており午後は女性の奴隷が花などを散らすなどして浴槽などを飾っていた。

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因みに、モザイクには3種類あり、一辺が9ミリよりも大きいものか9ミリよりも小さいものか、などなど、規定があるのだそう。

これは追って観に行くトフェなる場所に多数ある墓標。
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当時、フェニキア人には、最初に生まれた男の子を生贄にする習慣があり、首を切って頭部も胴体も焼き、灰にしてそれを骨壺に入れて埋葬し、その上に墓標を立てていた。
上の墓標の下の方には、アルファベットの原型とも言われる文字がある。
下の墓標には、タニトの印と言われる刻印。カルタゴで信じられていたタニトという女神は、母神であり冥界の神として死と再生を司った。ただ、この形は、祈る人の姿とも、エジプトのアンクに似ているとも、生贄とされた幼児の形とも、諸説ある。

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フェニキア人の商人の石に書いた手紙ならぬ手石?

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フェニキア人の哺乳瓶。さまざまな形の物があった。

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フェニキア人のいずれもオイルランプで、セラミック製。エジプトの物のようなデザイン。

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フェニキア人のワインのピッチャー。このデザインなどをギリシャが真似ているのだそう。

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ローマ時代のミネルバの像。3神のひとつなので、他にジュピター、ジュノーがあった。

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フェニキア人は商人だったので、当時から中国と商いを行い、ガラスを中国に伝える代わりに、シルクを得ていた。

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フェニキア人の髭剃り。良く良く見ると、ちゃんと模様が彫り込まれている。

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ローマ人の供物台(生贄台)。フェニキア人と異なり、ローマ人は人間の生贄は止めて羊などを生贄としていた。

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画像ではわかりにくいが、やけに小さい壺だなと思いきや、当時の子供達が使っていたおままごとセット。

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フェニキアのブロンズ製のコイン。当時は戦わずに、交易でギリシャなどと交易をおこなっていた。
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ビーズネックレスなどの装飾品も。


円形闘技場

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ハドリアヌス帝時代に36000人収容の闘技場として造られ、北アフリカでは一番大きな物で、現在は背の高い木々が周囲に生えているが、そこが闘技場の外側の壁で、観覧席はその傾斜が35度もあった。
しかし、オスマントルコが来て、メディナを造る為に、闘技場の観覧席の石などを全て取ってしまった上、後世ではフランス軍が軍用に敷地を使うなどし、すっかり荒廃してしまった。

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地下のアーチが見えるが、地下にはライオンやグラディエーターなどの奴隷が居た所。

ローマ劇場

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紀元後180年に、同じくハドリアヌス帝時代に造られた。
とても綺麗に修復されているので、今もここで野外劇などが上演されており、上段からは地中海も望める。


ローマ人の住居
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紀元後200年頃のもの。

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ローマ時代の住居跡があり、そのうちの大きな邸宅には、列柱回廊があり、その内側に大きな中庭がある。通常、中庭の中に小さなプールを造って魚を放つのが通例だが、この家は非常に裕福だったので、あえて外側に水を、そしてその中に植木を植えていた。
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モザイクも残っているが、通常モザイクは着色せず、もともとの石の色を巧みに組み合わせて行くのだが、青色の石が見つからなかった為、代用品として青の部分だけはガラスがはめ込まれている。

考古学者は、こういう住居を発掘する際、まず最初に大きな扉の跡を探すのだそう。その扉はダイニングルームの扉を意味し、そこから家の他の部屋を徐々に発掘して行く。
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空地には、野生のアニスが生えていた。なるほど、チュニジアではアニスはサラダに必須と言ったぐらいに出てくるのも納得。

発掘の為に、1500万ドルもの炭素放射性同位体の機械を購入したが、100年などの誤差が生じた為、今は使っていないとのこと。

この後、一旦シディ・ブ・サイドの港でお昼を食べてから、アントニヌスの共同浴場や古代カルタゴの港などへ。