チュニスのメディナは、世界遺産にもなっている。
旧市街であるメディナは、縦に1.5キロ、横に700メートルと、モロッコのフェズほどの迷宮ではないので(その様子はこちら)、少し散策してみることに。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
お菓子屋さん通りがあった。
中にディーツの餡?を入れたお菓子、マクロウドなどを作って売っている。

イメージ 4

イメージ 5
撮っても良い?と聞くと、にっこり笑ってやおら懸命に生地をこねだしたおじちゃん。

イメージ 6
ハマム(公衆浴場)の入口

イメージ 7
その前には、つい先日行われた選挙の為のポスター掲示場が。

イメージ 8
こちらは、イスラム教の聖職者であるイマムの家の入口。

イメージ 9
イスラム教の国ではあるが、クリスマスツリーを売っているのは宗教に寛容なチュニジアらしい。


メディナを出て、少し暗くなってきた街を散策。

左側の建物のマークはめがね屋さんを示している。
イメージ 10

イメージ 11
このマークは何屋さんを示しているでしょう???カクテルでも飲める?と思いきや、
イメージ 12
薬局
欧米と同じく、薬学のシンボルとして「ヒュギエイアの杯(ヒギエイアの杯)」が挙げられていた。

一番の大通りであるハビブ・ブルギバ通りのカフェでしばし休憩することに。
イメージ 13
カプチーノとミントティーを。
イメージ 14
やはり、お客さんは皆、男性ばかり。そして給仕する人も男性。

ホテルに帰って夕食を。
イメージ 15
恒例のセルティアビールを。

イメージ 16
カボチャのポタージュとのことだったが、どうもコーンスターチが多くてあまり好きになれない。

イメージ 17
タコのサラダ  これは美味しかった。

イメージ 18
お魚のグリル。
これはシンプルで美味!西洋人は、魚の目が付いているのを嫌う(怖がる)人が多いからか、このお魚のグリルにはピーマンの輪切りが目の部分に乗せてあったのが可笑しかった。そう言えば、アメリカ人の知人も、目が付いているからとちりめんじゃごすら嫌がっていたなと。

イメージ 19
レモンのタルト。白いメレンゲ菓子はひよこになっていた。


この日に教えてもらった備忘録 :

その昔、シチリア島から移住して来たイタリア人のコミュニティがあり、チュニジアの公用語であるアラビア語と共に今も彼らのイタリア語を話すが、移住した時代のイタリア語がそのまま使われているので、現在のイタリア人には理解できない言語なのだとか。

750年前ぐらいに、スペインはアンダルシア地方から移住して来た人達のコミュニティもあるが、未だに彼らの末裔は遅く寝て遅く起き、時間の感覚が緩いのだとか。

孤児の為に政府が造ったホームもあったが、皆名前が同じで、その子孫も今でも同じ苗字となっている。

南アから飛来したフラミンゴが、6か月間チュニジアの湖などに居つく。

米国同様、違法滞在の外国人が、チュニジアで子供を産んだ場合は、その子供にはチュニジア国籍が与えられる。

チュニジアの特産はオリーブ、アーモンド、オレンジなどで、農業が盛んだが、今の若いチュニジア人は農業には従事したがらない為、近隣のアルジェリア、モロッコ、黒アフリカと言われるニジェールやマリなどからの働き手によるところが大きい。

麦も主要な作物で一毛作だが、ここ4年は渇水の為に家畜用の麦ですら輸入している。

砂糖はサトウキビが育たない為、ビート大根から造っている。

養鶏も盛んで、バイオによる小麦を与えていることから安全ということで、輸出も盛ん。餌代などにコストがかかるが、ヨーロッパ諸国が買っている。

酪農業も盛んで、乳牛は1日当たり1頭45リットルのミルクを出すが、農家はミルクやバターを出荷はするが、チーズ造りは専門の業者の工場が造っている。

オリーブは、皮は水分がほとんどの為、皮からではなく種から油を造る為、オリーブオイルには苦味がある。種の大きな種類がオイル造りに使われ、種の小さな種類は食用となる。

地中海に面しているが、淡水湖のダム湖では1.5~2メートル程度の魚も獲れ、食用とされている。

山はあるが、1500メートル程度が一番高いものとなる。

ローマ時代の街造りとして、馬の時速は毎時8キロ、一日に8時間進むと考え、64キロごとに街を造った。スースとジェムの街なども64キロの間隔となっている。

山ではトリュフが採れ、ホリデーシーズンには、レストランが山まで買い付けに来る。

山には野兎も居るが、狩猟の期間以外は獲ることは出来ない。

オーストラリアからユーカリを輸入し育てて、家具などの材料としている。政府がユーカリを管理しており、その売った資金で学校などを建てている。