ドライブがてら、チャッツワース Chatsworth 界隈に行ってみた。

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チャッツワースは、アパルトヘイト真っ只中の1960年代に造られたインド人の街。


街の中心には大きな
ヒンズー教の寺院が。




イメージ 2インド人は、Mayville, Cato Manor, Clairwood, Magaine Barracks, Bluff, Riverside, Prospect Hall, Duikerfontein, Sea Cow Lake と言うエリアに住んでいたが、1950年6月に、インド人、カラード(白人と黒人などの混血)、黒人と、白人を別ける為に、インド人全員が移住させられ、ダーバン北の Phoenix とダーバンの南の Chatsworth に移住させられた。
北の Phoenix には、マハトマ・ガンジーが住んでいた。


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ヒンズー教徒が大半を占めていても、さまざまなグループに分かれており、多くの人は、タミールやテルグのバックグラウンドを持ち、未だに家では彼ら独自の言葉を話している。
2011年現在の人口は19万6580人だが、そのうちの60%がインド・アジア系の人達で、次いで38.2%の黒人、1.2%のカラードとなり、白人はわずか0.1%。
話される言語も、インド風の英語も含んだ英語62.6%、次いで黒人が話すズールー語が26.2%となるぐらい、インド系の人達が多い。
因みに、インド系南ア人は教育に重きを置き、設備は整っていなくても、国の大学進学テストである Matric Examinations を9割の生徒がパスするなどしているのだそう。

家の門扉には、狛犬でもなく、
シーサーでもなく、ゾウさんが。



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かつてインド人が強制的に
住まわされていたインド人の為の
タウンシップハウス。





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広場では、年に1度行われる 
チャリオットフェスティバルの為の 
山車を準備しているところだった。
今年はチャリオットフェスティバルを 
観に行ったので、詳細は追って。





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Chatsworth と言う街は、黒人のタウンシップであるウムラジ Umlazi と、白人の居住区との緩衝材として造られた。
近くにあったこの掘立小屋群は、インド人の居住区でもタウンシップでもなく、いわゆるシャック shack と言われている建物で、不法滞在となっていることが多い。



チャッツワースに居る外国人(近隣のアフリカ諸国から来た人達)がゼノフォビア(外国人排他)運動で南ア人に攻撃されたり家を追われたりする前に行ったので、いたって平穏に感じられた。