アフリカ大陸の東側の島国、マダガスカルに行くことにした。
島と言っても、世界で4番目に大きな島で、日本の1.6倍もの面積をほこる。(因みに、グリーンランド島、ニューギニア島、ボルネオ島に継ぐ大きさ)

7月24日(金)
ダーバン 06:35発 SA2032便 ヨハネスブルグ 07:45着
イメージ 1
ヨハネスブルグのラウンジで。

ヨハネスブルグ 10:00発 SA8252便 アンタナナリボ 14:10着
イメージ 2
南ア航空傘下の Airlink で。
国際線なのにこの大きさ?自分で歩いて行く?のっけから、ちょっとビックリなスタート。
 
イメージ 3
サンバード(タイヨウチョウ)がイメージシンボルなのだからなるほどそのような機体の大きさなのかなぁ・・・

イメージ 4

イメージ 5
機内食は悪くなかった。

イメージ 6
アフリカ大陸のモザンビークの海岸線

イメージ 7
幅400キロほどのモザンビーク海峡を超えるとマダガスカルが見えて来る。

イメージ 8
主食はお米の人達。水田があちこちに広がる。

首都のアンタナナリボ Antananarivo 到着。標高は1250~1400メートル。人口は1900万人。
イメージ 9
飛行場から街の中心にあるホテルまでの間にも、水田。この時期は、苗を育てているとのこと。

イメージ 10
休耕田でや田んぼの土手では、洗濯物を乾かしている。

イメージ 11

イメージ 12
牛さんがその周りで草を食む。牛さんの落し物など、選択物が汚れない?と思うのは私だけ???

毎日このようなローカルなマーケットが立っているのだそう。
イメージ 13

話には聞いていたものの、やはり驚いたのが、歩いている人達の顔。アフリカ大陸の東の島とは言え、何だか懐かしいアジアンな顔付の人達がとても多い。7~8世紀頃に、マレー人、インド人、アラブ人、アフリカ人が移住して来たと言うだけあって、インドネシアかフィリピンぽい顔が多い。
後で知ったのだが、マダガスカルの西部、つまりアフリカ大陸に近い西側は、奴隷として連れてこられた人達の末裔が多いこともあって、この首都のようなアジアンな雰囲気の人達は少なく、アフリカ系の人達が多かった。国全体では、19もの民族からなるのだそう。

イメージ 14
ホテル到着。
部屋からの眺めなのだが、この画像にはないずっと右側に立派な大統領官邸があり、写真撮影禁止。

夕食はお勧めと教えてもらった、マダガスカル料理店の Chez Sucett's へ。
イメージ 15イメージ 16イメージ 17
まずはマダガスカルのビール各種を。
どれも美味しいが、宿六はこの Three Horses Beer 通称 THB が、私は GOLD が気に入った。

イメージ 18
パンには、6種類もの突き出しが。奥左から、ピーナッツディップ、茄子、トマトのサンバル風。手前左から、チリ、グリーンマンゴのサラダ、人参などの野菜のサラダ。茄子が焼き茄子のように香ばしくて美味しい。トマトにはレモングラスが入り、グリーンマンゴには少しチリが入っていてピリッとする。

イメージ 19
前菜 
ブーダンノワールがあったので速攻それを。日本の下手なビストロよりも美味しい。さすがはフランスの植民地だっただけはある。

イメージ 20
アボカドの前菜には、ぎっしりと蟹肉・海老・イカが入っていた。

イメージ 21
我ながら驚くが、初日からちょっとチャレンジ。
フルーツバットが地元料理とのことだったので初挑戦。お肉は、ダックコンフィとオックステールを足して2で割った感じ。

イメージ 22

イメージ 23
鰻も獲れるので鰻料理を。泥臭さではなく、ちょっと熟成というか発酵臭に近い匂いを感じた。骨が多かった・・・

イメージ 24
付け合わせの豆料理。

イメージ 25
デザートには、マダガスカルの伝統的ケーキである KOBA なるものを。ココナッツアイスクリームが付く。ケーキ生地は、ピーナッツの入ったしっかり目の生地。

イメージ 26
マダガスカルは、世界一の生産量を誇るバニラが有名。ではと、バニラ入りのラム酒を食後酒に。
この日教えてもらったことの備忘録:

7月31日が各市長選挙の投票日の為、プロパガンダなどをかかげたり宣伝車が走っているので、街の中はあちこちで渋滞していると。

お肉の値段は ターキー>鶏肉>豚肉>牛肉
日本とは真逆で牛が一番お安いとは!!
羊はイスラム教徒だけが食べていて、イスラム教徒以外の地元の人は食べない。
牛は、ゼブ zebu というコブウシは、畑も耕し食肉にもなるが、コブのない牛は畑は耕すが搾乳をする牛。
牛の数は、マダガスカルの人口と同じぐらい (ということは2130万?) いるが、馬は減ったとのこと。

バナナは一年中採れるが、この時期はオレンジとアボカドの時期。

車は、プジョーやルノーが多く、海岸線の悪路には日本車の四駆が多い。

お米は二毛作だが、西部のモロンダヴァでは三毛作のこともある。それでもお米が足らず、インドネシア、タイ、中国などからお米を輸入しているが、中国からのお米は食べるとアレルギーが出たりもするとか。。。

スポーツは、サッカーに人気があるがナショナルチームは弱く、人気はないがラグビーが強い。

石油は、陸でも海底油田でもあるが、それほどの産出量はない。

義務教育がない!!
田舎ではマダガスカル語のみだが、都会ではフランス語が使われ、中学からは英語も学ぶ。
しかし、義務教育がないので、読み書きが出来ない人も多く、そんな女性は早々に結婚するか、メイドになったり、洗濯などの仕事につくことになる。

信号はかつて駅の前に一カ所あったが、壊れて以降そのままなので、マダガスカルには現在使用されている信号機は存在しない。

首都のアンタナナリボで標高は1250~1400メートル、一番高い山は2864メートル。

フランス植民地時代に引かれた鉄道は、現在は客車はなく、貨物の運搬だけとなり、セメントなどが運ばれている。

もともと、マダガスカル国内線を一手に牛耳るマダガスカル航空が、1ヶ月に渡りストライキを行っていて、その間は一便も飛行機が飛ばず。ようやくストも空けた1週間程度の状態で我々は行ったので、未だ飛行機のスケジュールに混乱があり、出発前日にも旅行会社から国内線のフライトスケジュールが変更になったので、国内の旅程を大幅に変更する必要があり、その国内のフライトもキャンセル待ち状態との連絡が。
どうなることかと思いながらも、もともと国内線の遅延や変更・キャンセルの多い国と聞いていたので、何とかなるかとマダガスカルに行った次第。

アンタナナリボ到着後、手配をお願いしていた現地の旅行会社で、新しい旅程や飛行機のEチケットをもらったりしたのだが、以前は1~2年に一度の割合で航空会社がストをしていたが、今回のような1ヵ月もの長期に渡ってストをすることはなかったのだそう。
その為、日本からのツアーの90%ほどがキャンセルになり、それでも来た他の外国人観光客は、ストの間はずっと陸路で10時間移動などを強いられていたとのこと。
乾季の今がハイシーズンなのにもかかわらず、観光客がキャンセルして来ないと言う事態は、大変そうだった。

本来翌日はマダガスカルの南端のフォートドーファンからベレンティー保護区に行く予定だったが、フライトがキャンセルになったので、旅行の終盤で行く予定だったペリネ特別保護区に翌日行くことに。
その様子は<2>で。