南アに8つある世界遺産のうちの、唯一の複合遺産であるウクハランバ・ドラケンスバーグ公園 (uKhahlamba Drakensberg Park) 。自然美と生物多様性からなる自然要素、サハラ以南のアフリカでは岩絵が最も密集している地域であることなどの文化要素の両面による。

「ドラケンスバーグ」 は、もともとオランダなどから入植して来た人達のアフリカーンス語で 「竜の山々」 、ズールー語の 「ウクハランバ」 では 「槍の壁」 と言う意味なだけあって、3000メートル級の山々がそそり立っている。

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ホテルの部屋からの眺め
Champagne Castle は、高さ3377メートル
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ウクハランド・ドラケンスバーグ公園は、12もの国立公園や自然保護区からなり、我々が行ったのは、ジャインアツキャッスル狩猟鳥獣保護区 Giant's Castle Game Reserve
その面積だけで34638ヘクタールある。

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ようやく、高さ 3315メートルのジャイアントキャッスルが見えて来た。

ドラケンスバーグ山脈には、サン人が残した岩絵が数多く残る。サン人の先祖は約8000年前にドラケンスバーグ山脈地域に来たと考えられており、彼らの岩絵はウクハランバ・ドラケンスバーグ公園では2400年前から19世紀末ないし20世紀初頭まで継続的に描かれていた。
岩陰遺跡などの岩絵が残る遺跡が600ほどあり、全部で約35000の岩絵が残されており、アフリカ全土で見ても単一の民族によって描かれた岩絵としては最高の密度と規模を持つ。
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この地域一帯にだけでも450ほどの壁画があるが、アクセスしやすく観光として見られるのはここのみ。もう一カ所はハイキングトレイルの途中にある。我々が見たこの洞窟で、5000年前ぐらいから19世紀までサン族がいたとのこと。
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未だ綺麗に色が残っているものも。顔料は、鶏の糞、動物の血、○○?を卵の黄身で溶いたもので、水は使っていないので、今まで残っている。
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ジオラマ風のサン人の人形などもあり、各地層からはその時々に使われた物などが出土していることを示している。19世紀になっても、昔ながらの狩猟、食用可能な植物採取と言う生活だったが、他部族の黒人の農夫やヨーロッパからの入植者とも接するようになり、はちみつ、狩猟による肉、ダチョウの卵の殻、象牙を渡す代わりに、他部族の黒人農夫から金属、陶器、トウモロコシ、家畜、タバコ、猟犬などを入手した。中には、ヨーロッパ人に象牙と銃や弾薬を交換していた。

一方、他の黒人は約1800年前にアフリカの南東部にやって来ていた。ヨーロッパからの入植者達は19世紀初頭に増加し、徐々に土地を浸食していく。その為、1840年に、いくつかのサン族のグループが、他部族の黒人やヨーロッパ系の農家から牛や馬を奇襲して奪った。また、ノースイースタンケープやレソトでは、牧畜家や黒人の農夫や逃げ出した奴隷が家畜を略奪するようになった。植民地政府は、当初そのような略奪行為を止めようとしても成功しなかったが、1870年代になって政治が変わったことで略奪は終わり、20世紀初頭には、もうこの地域にはサン人はいなくなった。

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色々な動物達が描かれているが、一番多いのは、エランド Eland と言うアンテロープでは一番大きなもの。これを仕留めて初めて男性は結婚できるとされていた。

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わかりにくいかも知れないが、枝の先で示しているのが、象の鼻の辺り。

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サンゴマ (シャーマン)が描かれている。サンゴマは人間ではない姿として、3つの頭や、2本の尻尾を持っている。麻薬を飲んで、トランス状態になり、円になって踊ったりしている様子も。

これらの絵の持つ意味については、研究者によっても説が分かれるところ。
ある研究者達は、狩猟採集民のサン族が、装飾の意味と、日々の生活を記録したものと考えている。彼らの宗教と日々の生活とは切り離せないもので、厳格に守られていたとする。ただし、トランス状態のサンゴマや霊的な動物が描かれているのは議論となっている。
また、別の研究者達は、男女の関係を隠喩して描かれたものと考えている。出産、成人になり、結婚を伝えるものと考えている。他の可能性としては、この壁画は、亡くなった人の魂や先祖などが描かれていることから、彼らの神話や儀式に関係するのではないかとも。

尚、今でも黒人の人達に影響を与えるシャーマンが、この壁画を削って飲むと、不老長寿などパワーが得られるとしている為、それを信じる人々が壁画を傷めに来ることもあり、柵で守られている。

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帰りのルートの一部は、行とは異なるのだが、そこに 「75」 と刻まれた岩がある。
1874年の6月~9月に、植民地の第75師団が、刻んだもの。Amahlubi と言う部族が彼らの家畜の牛と共にこの地にやって来ない為に、彼らの占領地として示すことが目的だった。

サン人は、別名ブッシュマン。かつて映画がヒットしたことでも知られる。
入植していたオランダ人に、藪の民 Bosjesman として名付けられ、英語のブッシュマンとなったが、侮蔑を含む呼び方であるとされ、現在はサン人と呼ぶ。
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最後のドラケンスバーグ地方のマウンテンブッシュマンのサン人の Kerrick Ntusi 氏の写真を Fort Nottingham で見ることが出来る。2005年に撮られた御年92歳の姿。その詳しい様子は こちら

遺伝子解析では、人類の祖先と目されており、現在は、南部アフリカのカラハリ砂漠に住むサン人ぐらいしか残っていない為、サバンナで生活しているそのサン人は 「地球最古の人類」 とも言われているのだそう。

Lake Eland Game Reserve の中の洞窟にもサン人の絵が少しだがあった。その様子は こちら