昼食を終え、MANHYIA PALACE MUSEUM へ。

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実際に、アシャンティ族の王様が今もこの宮殿の公開されていない部分に住んでいるとのこと。







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1900年に、アシャンティ族のヤ・アサントゥワ女王が英国軍と戦ったが、英国軍によってセント・ジョージ要塞に捕らえられ、セイシェル島に送られそこで死亡した。
女王の銅像がクマシの目抜き通りにある。
因みに、アシャンティ(アサンテ)とは、黄金の大地と言う意味。

英国のヴィクトリア女王の命により、ホジソン総督が、アシャンティ族の王様の象徴である「黄金の床几」を引き渡すように要求。神話では、その床几はアシャンティ族の魂が宿る玉座とみなされ、そこに座る首長はアシャンティ族の連合王国の王と呼ばれていた。英国のこの要求に民衆は起こって蜂起。英国軍は王廟に火を放った。1931年に、追放されていた王が再び戻って来ると、その黄金の床几が現れ、現在も宮殿に保管されており、5年に1度、公開されている。

(内部は写真が撮れなかったので、以下の写真はネットから拝借)


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かつて王様が使っていた執務室などがそのままとなっていて、人形なども置かれている。
1965年製のサンヨーのテレビが置かれていたのには驚いた。
因みに、一夫多妻で、奥さんの数に制限はない。





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これが、黄金の床几が公開された時の様子。
王様の横の椅子の上に、置かれている。
(床几は椅子のはずだが・・・)






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因みに、アシャンティの国旗。
黄色は黄金、黒は黒人の民、緑は森を現し、
中央にはその黄金の床几が描かれている。


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こちらが現在のガーナの国旗。
赤は血、黄色は黄金、緑は森、★はアフリカの希望を
現しているのだそう。




クマシ郊外の OKOMFO と言う司祭?呪術師?に会いに行くことに。

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大きな樹の下で、親戚一同が過ごしていた。
我々が行くと、その一軒の家から呪術師の人達が準備をし始めた。







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我々は入ることを未だ許されず、何人かの人達がこの部屋に入り、鳴り物なども鳴らしながら大きな声で歌うと言うか唱えると言うか、、、


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我々が呼ばれて、呪術師さん達が入っている部屋に行こうとしたら、宿六の足に鶏の卵が部屋から投げつけられ、地面に卵が砕け散った。
何のことか全くわからず、、、






そして入って良いと許可されて入ると、顔や手を真っ白に塗った男性が中央に。

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呪術師さんはとても高貴な人なので、我々やガイドさん達には直接話さず、左側の人にアシャンティの言葉で話し、それを左側の人が我々のアシャンティ族のローカルガイドさんに伝え、それを彼が我々に英語で伝えると言うしくみ。宿六には、宿六の足を引っ張る邪気があったので、それを祓ったとのこと。なるほど、卵はそういう意味だったのかと。

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部屋を出ると、中で演奏していた人達や他にも女性などが加わって、賑やかに奏で始め、呪術師さんも登場して、くるくると回り始めた。



このような呪術師さんは、ひとつの村に1人いて、毎週水曜にこのようなお祓いなどを村人に施すのだそう。この呪術師さんは、男女どちらでもなれるとのこと。
実に、不思議な体験をさせてもらったなぁと。。。


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クマシの町は、クリスマス前日と言うこともあって、何処も賑わっていて、道端で物を売っていたおばちゃん達もご機嫌に踊っていた。








アシャンティ族のキリスト教徒は、12月24日は教会へ、25日も教会へ、26日はボクシングデーとして、31日も夜中に教会に行くとのこと。南アのキリスト教徒のコサ族なども同じように教会に行くので、所は違っても似ているなぁと。

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ホテルに戻って一息。
前日はそのようなことはなかったのだが、クリスマスイブと言うこともあってか、大勢のお客さん達がプールで遊んでいた。
こういった外国人が泊まるようなホテルのプールでは、南アではもっぱら白人が泳いでいるのだが、ここガーナでは全員が黒人だったことが、目に新しかった。
南アが特異だと言うことなのだが・・・



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プールサイドでは生バンドも入ってのディナー。




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ビュッフェ形式。
基本的に、旅行中には、絶対に生野菜やカットフルーツは食べないのだが、周りのお客さんを見ていると、皆平気でフルーツなどを取っていたので、パパイヤを。

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シャンパングラスのような物に入っているのは、
デザートのムース?クリーム?なのだが意味不明な味だった。
チョコレートケーキは普通だが、その横のプリンが美味しい。

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夜には、とってもとってもしょぼいのだが、
一応花火がポンポンとあちこちで挙がっていた。









この日教えてもらったことの備忘録

西アフリカはマラリアに注意しなければならない。が、我々も巷の噂として聞いたことがあり、ガイドさんも言っていたのだが、WHOと各地の地方自治体とではマラリアの患者数や死亡者数に開きがある。医者もあえて単なる風邪ではなくマラリアの疑いがあるとした方が医療費を多くもらえ、またWHOや政府から援助や補助がもらえることから、疑似患者数も加算されているとのこと。

男女共学が基本で、モスリム教徒が通う学校でも共学。ただし、ここ10年で、モスリム教徒の戒律が厳しくなって来ており、例えば女性は顔を隠すことなどにうるさくなって来ている。

奴隷貿易が行われていた時代、自分の出身の村などIDに関しては何もない為、同じ村の出身者は全員自分の顔に同じ傷をつけてマークを統一することで、奴隷として売られた北中米でも出身が一緒の人かどうかがわかるようにした。男女共、出身の村が同じであれば同じマークが顔に刻まれる。

割礼は男性のみで女性は行わない。

西アフリカでは、キリスト教徒とイスラム教徒との間での争いはほとんどない。
国によっては、大統領がキリスト教徒、副大統領がイスラム教徒などもある。