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首都リロングエのB&Bで迎えた朝。
庭には、ジャカランダの樹や、ブーゲンビリアなどが咲いていて、鳥さん達がやって来ていた。



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マユジロツグミヒタキ  White-browed Robin-Chat
Cossypha heuglini

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セイキムクドリ Greater Blue-eared Starling
Lamprotornis chalybaeus


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ライラックニシブッポウソウ Lilac-breasted Roller
Corcias caudatus

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サンショクヒヨドリ
Dark-capped Bulbul
Pysnonotus tricolor








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ズグロメンガタハタオリ
Village Weaver
Ploceus cucullatus


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朝食のオムレツがふんわり美味しかった。





チェックアウトし、リロングエの市内観光を。
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新市街はジャカランダが満開で綺麗だった。







1964年に独立を果たし、リロングエは、1975年に南にある首都のゾンバ Zomba から遷都され、新市街もその時に生まれた。もともと、より国内を発展させる為に遷都を行いたいとしていたのだが、当時統治していた英国がそれを認めず、南アに相談。7600万クワチャ (約1184万6679円) の土地を南アからローンで得る予定だったのだが、後に無償で受けることになった。
かつての首都のゾンバよりも南のブランタイア Blantyre は商業の中心地として、北部のムズズ Mzuzu は農業の中心地となっているが、リロングエは、ブランタイアよりも面積でも人口でも上回っている。

マラウイと言う国は、スコットランド人のリビングストンが初めてマラウイ湖を見た時に、地元の人に湖の名前を聞いたのだが、その地元の人は名前を知らず、ただ 「湖だよ=ニャサだよ」 と答えた。そこでリビングストンは 「レイクニャサ」 と名付け ( 「湖湖」 なのだが💦)、英国に戻ってから地図などを確認したところ、陸よりも湖が大きかったことから、「ニャサランド」 と言う国名にした。そしてその後、チェワ語で 「光」 や 「炎」 を意味すル 「マラウイ」 になった。

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キャピタルヒルなる官公庁が集まっているエリア。
漁業省もあるのだそう。

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国会議事堂 中国により建設された。


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大きなカンファレンスセンターもあり、その横には、マラウイでは珍しい高層ビルのホテルがある。
大々的な国際会議が開かれるわけでもなく、観光客もほとんど居ないこの国で、この大型ホテルの意義はあるのか?と、B&Bに居た英国政府から派遣されて来た男性が言っていたが、なるほど納得。
そのカンファレンスセンターにしろ、このホテルにしろ、キャピタルヒルの大通りにしろ、全て中国が建設。
もともとカンファレンスセンターは台湾が造りかけていたのだが、中国が取って代わった。

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そして建築中の建物にも、中国の建築業者名が。

台湾の企業が進出していたが、中国がマラウイ政府に圧力をかけて、台湾のプロジェクトが頓挫したこともあるのだそう。




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初代大統領ヘイスティングズ・カムズ・バンダ氏のお墓

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このお墓はレプリカで、その下に埋葬されている。


ケニアのケニアッタ大統領からもらった物を
手にしている肖像画がかけられている。

勿論、このお墓も中国により建立。。。






大使館が多く集まる通り
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右側は南ア大使館。その並びの端にアメリカ大使館があるのだが、アメリカ大使館来訪者は、建物よりも外側に車を停め、徒歩で門に向かい、チェックを受けなければならない。


旧市街へ。
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新市街とは全く違った雰囲気。








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オープンマーケットは、交差点での物売りを排除し、このエリアに集中させたもの。


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物資は、タンザニアのダルエスサラームから陸路でやって来る。




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一番人気のスポーツはサッカー。

そして御多分に漏れず、このサッカースタジアムも中国が造った。。。






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第一次、そして第二次世界大戦の戦没者のモニュメント









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空港へ。勿論こちらも中国による。

リロングエ 13:05発 SA171便
ヨハネスブルグ 15:30着








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ヨハネスブルグのお気に入りのラウンジで夕食を。


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ラザニア










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一番人気のラムチョップ
いける!

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ヨハネスブルグ 18:45 SA575便 ダーバン 19:50着

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アムシュランガのビル群や、高速道路との間のゲートウェイモール、海には船の灯り、、、やはり南アはアフリカでは大都会だなと。

マラウイから南アに働きに来ている何人かの人を知っているので、予めチェワ語を少しだけ教えてもらっていた。元気ですか?私は元気です、あなたは?有難う。程度の簡単なものだが、マラウイの人達に言うととても喜んでくれた。
マラウイは、南アに比べて非常に治安が良く、のんびり。しかしそれは、大多数の国民皆が貧しく格差を知らないからかなと。世界最貧国のひとつと言われ、なるほど藁や土や煉瓦で出来た簡素な家に住む。主だった産業がなく、農業生産の効率をアップさせて輸出でもすればと思っても水が少なく二毛作は無理。欧米からの支援を多数受けている事実を初めて知ったのだが、インフラ整備の技術などもない為、中国に全てお願いし、ODAなどが形を変えて搾取されているような印象を受けてしまったのは私だけだろうか・・・