スーダンにある3つの世界遺産のうちのひとつ、メロエ。
ピラミッド群と王宮跡とがあるので、まず王宮跡のロイヤルシティーへ。

メロエ王国 とは (wikipedia より抜粋)

紀元前10世紀ごろから、現在のスーダンのナパタ (ジェベル・バルカル) 周辺でエジプトの影響を受けたクシュ王国が繁栄していた。

紀元前7世紀に鉄器で武装したアッシリアの侵攻をエジプト第25王朝のタハルカが受け、クシュ王国まで落ち延びた。紀元前591年頃、クシュ王国のアスペルタ王がメロエに遷都。以降を 「メロエ王国」 と呼ぶ。鉱物資源や農産物に恵まれ栄え、鉄鉱石や樹木が豊富なことからクシュ人自らもアッシリアから伝わった製鉄を行い、アフリカ黒人の歴史上最初の鉄器製造の中心地となった。

メロエには小型のピラミッドが数多く建造され、ヒエログリフをもとにしたとみられるメロエ文字が発明されるなど、クシュ王国同様エジプトの影響を色濃く受けていた。 エルガメネス(在前248~220)王の頃から最盛期を迎えた。

350年頃、アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。旧首都ナパタが滅ぼされた後、王の唯一の居住地となった。都市の様子は今もメロエ遺跡として残存している。

ロイヤルシティー

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羊のスフィンクスがほんの少し残っていた。




現在、地元の大学の考古学班が調査している。
王宮はドイツの考古学者が20年間調査を行っていた。






一番奥の間には、4面に彫刻がほどこされた祭壇がある。
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右の低い建物は半地下のようになっているが、大浴場。ナイル川の水を引いて、プールやサウナなどの設備があり、ゾウやライオンを象った彫刻の口から水が出るようになっている。
他の彫刻にもフルートなどを吹くものもあり、ギリシャやローマの影響を強く受けていることがわかる。
あいにく、クリスマス時期でクローズしていたので大浴場の中は見学できず。



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ナイル川が氾濫しないようにと、生贄をささげた所。
エジプトでは人間は生贄にはしないが、メロエでは動物のみならず、美少女が生贄にされていた。








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アモン神殿

BC23年にメロエ軍が破壊したローマのオコストス (=アウグストゥス) 王の像の頭部がここから出土。現在は大英博物館にある。
ローマはキリスト教文化を、そしてメロエはヌビアの神々や文化があった為に対立していた。






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とても乾いていて荒涼とした所なのだが、アカシアはこんな小さな葉しかないのに、花を咲かせていた。
イギリスは、アカシアの実を薬として輸出しているのだそう。




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タイヨウチョウのどれかかと思うのだが、
メスなのか、種類が良くわからず。。。


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ミドリハチクイ
Little Green Bee-eater
Merops orientalis

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アフリカヤツガシラ African Hoopoe
Upupa africana


土器も多く出土しているが、ろくろを使うことで大量の陶器なども作られていたことがわかっている。
また、メロエの東の丘から多量の砂岩が取れたので、それを使ったピラミッド群や宮殿などが造られた。

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鉄のスラッグ (鉱滓、鉱石の精錬後に残るカス) の山がある。








2012年からカタールが援助し、昔の製法で鉄を製錬した研究者達が居て、詳しく解説されていた。

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周りにあるアカシアの樹で作った炭は、火花を散らさないことから鉄造りに多用された。
ふいごは山羊の皮が使用され、1200度以上、5時間以上かけて鉄が造られた。

製錬された鉄は、武器、農機具の他、装飾品にも使われた。






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アペデマク神殿 Apedemak Temple


雄ライオンの顔、3つの頭、4本の腕を持つメロエの神様であるアペデマクの神殿跡。
戦いと豊穣の神で、ロイヤルシティーの東側にある最大の鉄のスラッグの山の上に建てられたことからも、鉄と宗教と王国の力の融合を示していると考えられている。
イギリスが調査中。



太陽の神殿 Sun Temple

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人々にも、動物の生贄を与えるなどしていたとのこと。








ピラミッド群を望む。手前が西ピラミッド群、奥が北ピラミッド群。南ピラミッド群はその向こう側で画像にはない。
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西ピラミッド群

王家のピラミッドではなく、位の高い側近などのピラミッドと言われている。
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崩れているものも非常に多い。







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修復しているものには、いつ誰が寄付をして修復されたか書かれたプレートが付けられている。








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エジプトのピラミッドと異なり、ここのピラミッドは全てお墓で、ピラミッドのずっと前方に地下に入る入り口があり、そこからピラミッドの真下まで階段で降りると埋葬場所となっている。残念ながらそのほとんど全てが盗掘されている。
ピラミッドの手前にあるH型のものは礼拝堂で、そこに入ることが出来る。内部には、レリーフがびっしりと。




この西ピラミッド群の後、シェンディと言う街に行き、午後から北ピラミッド群と南ピラミッド群を見学した。ピラミッドの詳細についてはそちらで。