明治神宮には、表参道からしか入ったことがなかったので、北参道から表参道へ抜けてみることにした。(以下、wikipeia より抜粋)
第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。
22万坪(約73ヘクタール)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主の加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、井伊家から政府に買い上げられて南豊島御料地となっていた。
1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、何らかの記念するための行事が計画されることに。明治天皇は京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が起こり、鎮座祭は1920年(大正9年)に行われた。
代々木口は空いている。
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社殿界隈は結構な人出。
1966年(昭和41年)大鳥居が落雷によって破損したため、新たな鳥居を1975年(昭和50年)建立。2代目の大鳥居も初代同様、台湾の阿里山連峰の大檜が用いられており、落雷した鳥居は氷川神社の二の鳥居として翌年移設された。
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お日柄が良かったのか、立ち寄った時間だけで3組もの結婚式の列を見かけた。外国人観光客が大喜びで写真を撮っていた。
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社殿前
神宮本殿は1945年(昭和20年)、アメリカ軍による空襲によって焼失した。現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、還座祭は1958年(昭和33年)に行われた。境内の旧御苑入口付近にはかつて、代々木の地名の起源ともなったモミの巨木「代々木」があったが、この木も空襲の折、高射砲によって撃墜されたアメリカ軍機・B29の直撃を受けて焼失。

初詣では例年日本一の参拝者数を誇るのだそう。そう言えば以前に初詣に来て、人が多くお賽銭箱までがあまりに遠いので、投げたお賽銭が前の方の人の頭に当たってしまい、爆笑されたことが💦
七五三の子供達も大勢。驚いたのは、小さな子供達でも皆ちゃんと草履をはいていること。名古屋の熱田神宮では、スニーカーに着物姿と言うお子ちゃまが多かったのだが。
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菊や盆栽も展示されていた。
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それにしても鳥居が多い。いったいいくつあったのか。神様も迷うのでは?
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南参道の端に到着。
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ちょうど前日まで、秋の例祭などをやっていたとのこと。また、先月末にオープンしたミュージアムや御苑は、閉館時間まであまり時間がなかったのでまたの機会に行ってみたいなと。