メイン会場の横浜美術館以外、PLOT48 と言う建物でも展示がされているヨコハマトリエンナーレ。
横浜美術館を見学した後(その様子は その1その2 で)、PLOT48 に行ってみた。移転した「横浜アンパンマンこどもミュージアム」の建物だったのだそう。
ヨコハマトリエンナーレ2020 「AFTERGLOW−光の破片をつかまえる」のイメージビジュアルが入り口にあるだけでなく、エレベーターの中にも張り巡らされていた。
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イシャム・ベラダ「質量と殉教者」「数理的前兆#3」 2020
水槽の中にある2つの彫刻には電気が通っていて、電力によって腐食していく。
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アモル・K・パティル「水面下への眼差し」2020 
砂の下にモーターが設置されていて、模様に見える分がゆっくり回転している。
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川久保ジョイ「ディオゲネスを待ちながら」2020 
父親がエル・グレコを好んで模写していたとのこと。
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アンドレス・グライナー 
ピアノ線の上に発光する藻が入った水のタンクを置き、ピアノの自動演奏と共に振動でその藻が光るというもの。
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武玉玲「生命軸」2018
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鄭波(ジェン・ボー)「シダ性愛」シリーズ 2016-19 
撮影不可だったが葛飾北斎のレプリカの人間と蛸、ヒメハナバチやハナバチが蘭と交尾する疑似交接、人間とシダとの映像が流れていた。ただし、日本の性表現規制に基づいてオリジナル版の画像を暗転させ、音声のみとなっている部分も。
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ファラー・アル・カシミ「ジャジラ・アル・ハムラ2020」2020
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ラウ・ワイ(劉 衛)「足りない声」 
映画の映像がインターカット(短い映像を挿入すること)されている。
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サルカー・プロティック「ラブ・キル」2014‐2015 
2013年にバングラデシュで起こった暴動に影響を受け、社会を脅かす暴力について。
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エレナ・ノックス「ヴォルカナ・ブレインストーム(ホットラーバ・バージョン)」2019‐2020 
ノックスが提示する共通テーマとは「どうすればエビをセクシーな気分にさせられるのか」。太陽光があれば自己完結的に生態系が存続するという、海藻、バクテリア、エビなどを水槽に入れた循環システム「エコスフィア」。しかし、その中のエビたちは、すべての生態系バランスが取れているにも関わらず、なぜか繁殖することを止めてしまうと。
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「エビガッツ ちびがっつ!」人間のえび魚拓ショーなのだとか。
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本物のお手洗いにガンガンペインティングを施してあった。なんでもこのビル自身を解体する予定があるとのこと。
また、年齢制限のある狭い部屋には、4人までと制限していたが、むんむん暑い上、全く換気がなされていないように思えたので、早々に退散💦
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「ビッグ・ジョーク」エビの顔をした巨大な女性とのこと。。。
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ジョイス・ホー(何 采柔)「バランシング・アクトIII」2020 
ゆらゆらと動く門を通り抜けて、もうひとつの建物へ。
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オスカー・サンティラン「チューインガム・コデックス」2019‐2020 
空気でふくらませてできた小型宇宙船には、月面歩行をしたニール・アームストロングの噛んだガムが拾われ、この中にあるとのこと。
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ラヒマ・ガンボ「タツニア物語」2017 
ナイジェリアのアーティスト。イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」の襲撃を受けた少女達。
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ハイグ・アイヴァジアン「1,2,3 ソレイユ!(2020)」2020
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ラス・リグタス「プラネット・ブルー」2020
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ファーミング・アーキテクツ「空間の連立」2020
ファーミング・アーキテクツとは、ズン ・アン ・ヴィエットとニャン ・アン ・タンにより設立され、ハノイを拠点に活動している建築設計事務所。水槽の魚のフンが植物の養分になり、植物によって魚の住む水が浄化する循環システムとして機能していることを示していた。
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以前に行った2010年初回や2013年のあいちトリエンナーレに比べると、音楽や舞台でのパフォーミングアーツがないのが寂しい。会場と会場をベロタクシーでつないだり、街角にトリエンナーレの恰好をした人達がパフォーマンスをして宣伝したりもしていない。美術館などの建物以外でのライトアップによる作品や、参加型パレードもない。コロナ禍では難しいのかも知れないが。。。
また、横浜美術館にも18歳以上しか見られない映像作品があったが、非常に性描写の作品が多い印象を受けた。それは、10年弱の時を経るとアートにおいて性に関する垣根や興味が変わって来たせいなのか、地域性なのか、はたまた今回のキュレーションでの特徴なのか。