近くに用事があったので、未だ行ったことのない巣鴨地蔵通商店街に寄ってみることにした。
通称「おばあちゃんの原宿」。だが、この日はお盆の週末で、朝10時頃で未だお店を開けていなかったり、かつ暑かったりと、人通りは少なかった。
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「とげぬき地蔵」こと、高岩寺慶は、長元年(1596年)扶岳太助が江戸神田湯島に創建。明治24年(1891年)に巣鴨に移転。
江戸時代、妻が病で死に瀕していた武士の田付又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げに従い、地蔵の姿を印じた紙1万枚を川に流すと、妻の病が回復したという。これが現在でもこのお寺で配布している「御影」の始まりで、その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承から、「とげぬき地蔵」と。(wikipedia より抜粋)
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東京大空襲で建物を全焼し、現本堂は昭和32年(1957年)に再建されたもの。
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本尊は秘仏で非公開。
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左の黒い像は、聖観音(しょうかんのん)像で通称「洗い観音」。水をかける人の為に、ちゃんと柵による列で並ぶようになっていた。
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隣接する「高岩寺信徒会館」なる所では、多数のこけしが展示されていた。都内のこけし愛好家の遺族から伝統こけし約700本をお寺に寄贈したいと申し入れがあり、受け入れ準備中に東日本大震災が発生した為、復興支援ということで常時展示をしておられるとのこと。この灯りが点いているものは、「こけし灯篭」で、ねぶたの技法で作られたのだとか。
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今は、やはり「あまびえ」も必須。
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全く知らなかったのだが、こけしの由来や系統について、係の方が教えてくださった。
こけしは、東北で生まれたもので、江戸末期の文化文政期(1804~1830年)には作られていた。東北の山間部の伐採した木の余りを使って作られ、東北の温泉地のお土産になっていった。もともと「こげす、こけす、ぼうず、きぼこ、きにんぎょ、こげすんぼこ、こげほこ、きでこ、でこ、、、」などとさまざまな呼称があったのだが、昭和15年(1940年)に、宮城県鳴子温泉で開催された全国こけし大会で、ひらがなで「こけし」と呼ぶよう決議された。「子を消す」というのは俗説。
また、こけしは師匠から受け継いだそれぞれの地方の「型」を守り続けており、11の系統に分けられるのだそう。
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界隈は、早稲田から三ノ輪までの荒川都電も走るエリア。
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地下鉄南北線が出来た為、廃線になった王子・赤羽間の線路や踏切は、一部に雑草が生えつつそのままだった。
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この後、吉原界隈へ行ってみた。その様子は追って。