自粛期間が終わって東京国立博物館が開館になった直後の6月に行ったのだが、その時は未だ全てのフロアや建物が公開されている状況ではなかったので再訪。博物館は時間予約制だが、黒田記念館は無料で自由に入館出来るので、先に行くことに。
洋画家の黒田清輝氏(1866~1924)の遺言により、彼の遺産で建てられた黒田記念館は、岡田信一郎氏が設計し、昭和3年(1928年)に竣工。上野公園内に建てられた旧東京府美術館(現存せず)、旧東京美術学校陳列館(現・東京芸術大学陳列館)と共に、岡田信一郎の美術館三部作と言われる。外壁には流行したスクラッチタイル、正面二階部分にはイオニア式オーダーの列柱がデザインされている。昭和5年に帝国美術院附属美術研究所として開所。
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黒田清輝氏の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵している。
1866年、鹿児島市生まれ。17歳で法律の勉強をすべくフランスに留学するも2年後には絵画に転向。明治26年(1893年)に帰国。美術団体の「白馬会」を結成。東京美術学校で西洋画科の指導者となり、後述の「昔語り」の構想画や、裸体画の推進など、日本絵画の近代化を図る。また、貴族院議員や帝国美術院長を務め、美術行政家として美術の地位向上に貢献。
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「瓶花(へいか)」1912 花を好んで描いていたが、特に百合と菊が多かった。
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「自画像(トルコ帽)」1889 黒田氏は、この年オランダを訪れ、レンブラントの「羽帽子をかぶった自画像」を模写しており、意識して描いたものだろうとのこと。
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11月までの展示期間では、戦災で焼失した黒田の大作「昔語り」の概要をうかがうことのできる「昔語り 下絵」が展示されていた。
「昔語り 下絵 構図II」1896 「昔語り」の着想を得たのは、1893年の京都旅行の際に東山の清閑寺の寺僧が語った平家物語の中の小督悲恋の物語を聞いたことによる。
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「其日(そのひ)のはて」 こちらも消失。一ヶ月あまりで完成させた作品。
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その下絵だけが残っている。
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「農婦」1914 別荘のあった鎌倉周辺の風景や生活をモチーフとしており、農民の姿も対象となっていた。
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「嵐」1919
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「案山子」1920
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遺品のイーゼル、椅子、絵の具箱。H型のイーゼルはアトリエ用だが、絵の具箱は三脚付きで野外でも使用できるようになっている。
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この後、東京国立博物館へ。その様子は追って。