富士吉田市の新倉山浅間公園で富士山&紅葉&五重塔のコラボを楽しんだ後(その様子は こちら)、昨年同様だが(その様子は こちら)富士五湖のうちの4つをドライブし、白糸の滝に寄ってみた。

河口湖
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もみじ街道も徐々に色づき始めていた。
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マガモのカップルや、オオバンがいた。
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本栖湖 では、少しだけ富士山が湖面に映っていたが、さざ波が邪魔をしていた。
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冠雪した南アルプスが少し臨めた。
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いつも眺めている富士山の東側や南側ではなく、西側を通ると、雪も殆どない。朝霧高原から。
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西側からだと、なだらかな稜線が左右均等ではないことがわかった。
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白糸の滝 へ。
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「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。日本の滝百選。水量は毎秒1.5トンで、幅200メートル、高さ20メートル。
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こうやって見ると、富士山の湧き水であることが良くわかるなと。戦国時代末から江戸時代初期には、富士講を中心とした人々の順礼や修行の場所でもあった。
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「鬢撫水(びんなで)」「お鬢水」と言われる小さな湧き水の池が白糸の滝の崖上にある。建久4年(1193年)に、源頼朝が白糸の滝の上にある岩穴の湧き水で鬢のほつれを直したことから、「お鬢水」と呼ばれるようになった。
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「音止の滝」「音無の滝」
落差約25メートル。源頼朝が富士山麓で巻狩を行った際に、曽我兄弟によって工藤祐経が殺される「曾我兄弟の仇討」事件が起こったのだが、仇討ち前に兄弟が滝の近くで討ち入りの相談をしていると、滝の音で声がさえぎられてしまったことから、兄弟が「心無しの滝だ」と言うと、激しい滝の音がぴたりと止んで無事相談が出来たと言う伝承から「音止の滝」と呼ばれるようになったとのこと。
富士の巻狩とは:
1193年5月8日~6月7日にかけて多くの御家人を集めて、御殿場市から裾野市にかけて、将軍頼朝の前で勢子(鳥獣を追い出す人)の追い立てた獲物を、馬に乗って弓で射る武術の訓練を目的とした催し。頼朝を中心とした東国武士の力を京都の公家に認めさせる為に大軍事演習だった。
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白糸の滝もなかなか綺麗だが、この音止の滝も立派。白糸の滝だけで、ここまで観光客が来ていないのが残念かな。