黒川紀章氏の初期の代表作(1972年施工)であり、メタボリズムの代表的な作品。世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅(マンション)。
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「中銀」とは、中央区銀座が由来で、A棟B棟に分かれている。現在はA棟904号室が竣工時の姿そのままと言うことで、見学会に使われている。
カプセルは全て同じ5畳程 10㎡(4m×2.5m) の大きさだが、それは当時トレーラーで運べる最大の大きさだった。そこに収納棚とユニットバスが付いている。ユニットバスは、1964年の東京オリンピックに合わせて開発された最新の設備だった。当時としては最先端のトリニトロンカラーテレビ、デジタル時計、FM付ステレオアンプ、オープンリール式テープレコーダー、エアコン、冷蔵庫、電話が設置されている。オプションでベッドを置けるようになっている。ヨットの船内を参考にしてデザインされたとか。しかし食事は外で済ませて、洗濯はコンシェルジュに頼むことができることから、キッチンや洗濯機置き場はない。古くなったカプセルと新しいカプセルに入れ替える新陳代謝する細胞と捉えていた。しかし現実としては、一度も新しいカプセルには取り替えられていない。

DOCOMOMO JAPAN 日本近代建築125選に選ばれているのだそう。正面の入り口ドアも〇に。
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黒川紀章氏は、東京大学の丹下健三氏の研究室に入り、新陳代謝を意味するメタボリズム建築を学び、1970年大阪万博で「タカラビューティリオン」など2つのカプセル建築を披露し、賞賛を浴びた。
高度経済成長のまっただ中で、1964年に東海道新幹線が開通した時代と言う背景があり、このビルが建設された1972年当時、平均年収が約6万円の時代に、一戸450万円前後で販売され140戸全てがすぐに完売した。しかし1973年にオイルショック。他に進行していたカプセル建築は頓挫。

どの角度から見ても楽しい建物。北西側から
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南東側から
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木挽町通りから
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裏側から
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現在は、セカンドハウスやオフィスとして使っている人がおられ、約30戸が現役使用されている。
しかし、竣工後30年が経過し、設備の老朽化と外壁内側の壁・天井・床全面にふき付けアスベスト(茶石綿12%含有。1975年に吹き付け禁止、1995年に製造中止)が使用されていることが問題となり、建て替えが検討されることに。2014年12月の管理組合総会において、建て替えか大規模修繕かの決議が再度行われる見込みであったが大規模修繕は否決。そして2022年に解体予定。そして、140戸のカプセルを取り外して、色々な美術館に置き、建築の歴史として鑑賞する方法や、泊まれるカプセルと言う方法での展開を予定されている。

ネットがかけられているのは痛々しいが、取り壊される前に見られたのは良かったかなと。