TERRAD ART COMPLEX に入っている「KOTARO NUKAGA」ギャラリーが、5月22日に六本木ピラミデにもオープン。そのこけら落としは松山智一氏の個展「Boom Bye Bye Pain」に行ってみた。

「Boom Bye Bye Pain」という展覧会タイトルは、1992年にリリースされヒットした Buju Bantanのポップレゲエソング「Boom Bye Bye」と「Pain」という2曲のタイトルを松山氏が融合したもの。銃撃音を表す「Boom」と、それから連想される「Bye Bye」を掛け合わせるブラックミュージック特有のスラングは、アフリカ系アメリカ人たちがゲイの人々に発した差別的なメッセージという意味も孕んでおり、発表当時は物議を醸した。巨大都市に生きるマイノリティが、自己肯定のために別のマイノリティを否定するという構造は、松山氏自身が人種差別を受けながらもアメリカ社会の中でアーティストとして活動するなかで逃れることの出来ない環境であり、それこそが痛み「Pain」を感じつつも生を実感させる現実、とのこと。
「Spiracles No Surprises」2021
馬に乗る人物が旗を持ち、もう1人が行く先を示す、松山氏の代表的なモチーフである騎馬像のシリーズ。歴史的に、強者や支配者の象徴として描かれてきた騎馬像を、鮮やかな色彩と古今東西の装飾柄や抽象的な表現で描くことにより、松山氏は時代を超えて繰り返し描かれてきたそのモチーフに込められた権威性を解体し、そこに新たな意味を与えている、と。

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細部を見るのも楽しい。
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「River To The Bank」2021
この作品は今年のスパイラルでの OKETA COLLECTION 展で見たもの。その様子は こちら
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「Sayonara Karma」2021
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私自身もニューヨークでの活動を行う上で、マイノリティ同士の小競り合いの中を生き抜いてきて、今があります。襲われたり、時には銃口を突き付けられることもありましたが、制作活動をするうえでこのような熾烈な生活環境は不可避なリアリティでした。ただ、そうした鮮烈な経験は、今では自分にとって財産となり、ニューヨークで芸術家として生きていく上で、折れない指針、原動力とさえなりました。人々がもつ様々な背景という差異の中から生まれるその痛み、「Pain」こそ人間の生きる上での証であると感じます。またそうした経験があったからこそ、生き抜くという人間の根底と向き合いながら創作活動に励んでこられました。自分の存在とは何か?自分はだれなのか?我々はだれなのか? 芸術において「生と死」という概念は時代を問わず描かれ続けたテーマであり、存在意義を確認することは現代に生きる私たちにとってもなお、この根源的な命題に直結しています。私は創作を続ける上で、私にとっての生きること(創作を続けること)への意味を模索しつづけてきました。タイトルが表す意味とはパラドキシカルに聞こえるかもしれませんが、私にとりこの展覧会はポジティブな問いを内包しており、我々の存在意義をなぞるきっかけのひとつになればと思っています。
松山智一
「When She Believes Till The End」2021
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「Some Because I will」2021
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「Drippy Part of Glory」2021
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「Blind Critical Mass」2021
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左「Sleep Warm She Bop」2021、右「Walk On By Lefty」2021
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側面にも描かれている。
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「Clocks Hit That」2021
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「Highway Robbery Rhyme 44」2021
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質感が違う表現も面白い。
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場所:KOTARO NUKAGA 六本木(ピラミデビル)
会期:5月22日~7月10日’21