「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦」展に。展示作品の浮世絵は全て江戸東京博物館所蔵と言うから凄い。

北斎の「深川万年橋下」を模した入り口でお出迎えしてくれる😂
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葛飾北斎

葛飾北斎の20~60歳代までの作品が見られる。
遠近法により臨場感を出した忠臣蔵討ち入りの場面「新板浮絵忠臣蔵 第十一段目」享和末~文化初年(1804~07年)頃 45歳頃。
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「万歳図(風流勧化帖)」文化元年(1804年)頃 北斎の肉筆画の冊子。
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「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月 続編巻之1」文化5年(1808年)
大波だけでなく稲妻の描写があり、後に歌川国芳がこれをもとに3枚続の錦絵を描いている。
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「北斎漫画 10編」文政2年(1819年) 曲芸、手品、顔芸などが描かれていて面白い。
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70歳を超えて、葛飾北斎は青を使った鮮烈な色彩と大胆な構図の「冨嶽三十六景」を発表。当時の旅行ブームにものって大人気に。名所の場所をわかりやすく描く名所絵を越え、近代風景画へ。

北斎の冨嶽三十六景シリーズは、天保2年(1831~33年)から始まり、36景+追加で10図が描かれた。その46景、全てを一同に見ることが出来た。

世界で最も有名な浮世絵、通称「浪裏」の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」天保2年~4年(1831~33年)頃 
静と動。数十年波を研究し続け、その完成形とも言える。フランスの音楽家のドビュッシーが交響詩「海」の譜面の表紙に使ったり、アンリ・リヴィエールは北斎にならって「エッフェル塔三十六景」を制作。東海道宿場町の神奈川宿の沖合の東京湾上から見たアングル。他の作品に、滝がテーマの「諸国瀧廻」や、海がテーマの「千絵の海」などもあり、水に非常にこだわっている。押送船(鮮魚などを運ぶ高速艇)も描かれ、三角2つと同心円の円が2つの構成。
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通称「赤富士」の「冨嶽三十六景 凱風快晴」
夏の朝の富士山の威容を見事に表現している。凱風は初夏のそよ風で、実際にその頃に赤く染まる。下記の「山下白雨」と同じ構図だが、裾野は黒い雲が走っている。版木の木目が出ている。
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「冨嶽三十六景 山下白雨」天保元年~4年(1830~33年)
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上記のいずれのもの富士山の左側に赤い落款が押されているが、押されていないものがある。先日ミネアポリス美術館展で見たもの(その様子は こちら)はその落款のないもの ↓ 他の浮世絵にはその落款はなく、その違いなどは不明とのこと。
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「深川万年橋下」 天保2年~4年(1831~33年)頃 
美しく弧を描く橋とその下から望む富士山が特徴。本当はここまで橋は高くなく、富士山が見えたかどうか。橋は小名木川にかかっており、小名木川は奥にある隅田川に注いでいるが、行徳塩田(現在の千葉)の塩を運ぶために、徳川家康が作らせた運河。洋画の遠近法も北斎は知っていて、左右の建物などはその遠近法を使っているが、奥の部分は高くなっていて東洋の平行遠近法(遠いものは高く、近いものは低く描く)を使っている。西洋の遠近法では、対岸の町が薄っぺらくなってしまう為、日本人の馴染みの遠近法と融合している。実際に、両脇の石垣にアーチ型橋で高くしていたが、デフォルメな描き方をしており、色々な目線が混ざっている。橋の上の人達の視線は川面の船 → 船の人の視線は富士山 → 富士山へと誘導している。アーチ型の中に三角形の富士山を入れている。ベルリンで開発された藍色のベロ藍(プルシアンブルーとも呼ばれる)を使っている。木版画でぼかした使い方は日本独特。
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「冨嶽三十六景 尾州富士見原」天保2年~4年(1831~33年)頃 
名古屋市中区富士見町界隈。今はもうその場所から富士山は見えない。冨嶽三十六景の中で一番西なので、富士山は小さく描かれている。​
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「冨嶽三十六景 武州千住」天保2年~4年(1831~33年)頃 
足立区千住は日光街道の第一の宿。
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「冨嶽三十六景 武陽佃嶋」天保2年~4年(1831~33年)頃 
隅田川河口より石川島、佃島、江戸湾の海岸線や富士山を望んでいる。船の配置や大きさはばらばらながら、舳先が全て富士山に向けられている。
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「冨嶽三十六景 常州牛堀」天保2年~4年(1831~33年)頃
シリーズの中で最も東の地点からのもの。米のとぎ汁を流す音に驚いて鷺が飛び立っている。​
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「冨嶽三十六景 東海道程ケ谷」
保土ケ谷だが程ケ谷と表記されている。箱根駅伝の難所と言われる権太坂から信濃坂にかけての何処かと言われている。右にある不動明王の石仏を半分だけ描いている。前景を丸、奥に三角の富士山。右側の稜線を強調する為に雪を積もらせ、その稜線もまた別の円を描いている。樹の間に山がある構図は、ポール・セザンヌ「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」で描いており、北斎の影響を受けているのがわかる。
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「冨嶽三十六景 駿州江尻」天保2年~4年(1831~33年)頃 
静岡は清水。江尻の宿場のはずれにある姥が池付近と言われている。風を描きたかったので、風に飛ばされている懐紙で表現。紙の様子も一枚一枚が異なり、人物も風に負けまいと足を踏ん張っている姿の描写も良い。富士山の描写が線だけと言う斬新さ。北斎の特徴である線描の美しさが良く現れている。​
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「冨嶽三十六景 遠江山中」天保2年~4年(1831~33年)頃 
木材を切り出して、角材から板に切っている。角材の支柱の三角が2つ、右手前の三角、富士山、人、小屋の入り口など三角だらけ。上記の「程ケ谷」と同様に丸が二重ある。手前のものに富士山が消えてしまいそうなところだが、生きている。
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「冨嶽三十六景 甲州石班沢(かじかざわ)」富士川。天保2年~4年(1831~33年)頃 
ベロ藍と本藍が使われ、後刷りとなると、版が荒れてくることもあって、服に赤、岩や間の雲に黄色が足されている。富士川は急流だが、デフォルメしている。鵜飼いが盛んな地域なので、鵜飼いの手綱か。漁師の左には子供も。三角が2つある構図。水や風の線と、ピンと張った糸の線が違うのが良くわかる。
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「冨嶽三十六景 礫川雪ノ旦」天保2年~4年(1831~33年)頃 
文京区小石川辺りの風景。冨嶽三十六景の中で、唯一の雪景色。
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「冨嶽三十六景 江都駿河町 三井見世略図」天保2年~4年(1831~33年)頃
修理をしている屋根と、富士山の三角形が相似関係にあり、あげられた凧がアクセントに。この場所は広重などの歌川派も描いている。
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本来、江戸東京博物館の常設展に展示してある晩年の北斎の画室模型もあった。本所割下水(現在の墨田区亀沢)で生まれ、生涯に90回あまりも引っ越しをし、83歳頃(天保13年 1842年)の北斎が榛馬場(現在の両国4丁目)に娘の阿栄(葛飾応為)と暮らした時を再現しているが、粗末な家だった。
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尚、北斎に「冨嶽三十六景」を注文した版元は、馬喰丁にある永寿堂こと西村屋と言う江戸屈指の版元のひとつで、「冨嶽三十六景」の絵の中には永寿堂の「寿」や、商標の「山傘に巴」のマークがあちこちに描かれ、しっかり宣伝している。


歌川広重

葛飾北斎(宝暦10年 1760年?~嘉永2年 1849年)に対し、歌川広重は(寛政9年 1797年~安政5年 1858年)と、北斎よりも37歳若い。
歌川広重は武士の家に生まれ、安藤徳太郎として10歳の時には既に富士山を描いていた。15歳の頃に弟子入り。
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歌川広重は、風景画を描くもヒット作のない一介の浮世絵師に過ぎなかったが、「東海道五拾三次之内」を制作する2年ほど前の36歳に、すでに家督を養子にゆずり、兼業的な状態から浮世絵に専念する。そして「東海道五拾三次之内」の仕事の注文が来て、風景画が広く認められる。

「東海道五拾三次之内 原 朝之富士」天保5年(1834~36年)頃
北斎の「冨嶽三十六景」の上述の「凱風快晴」と同じテーマで、北斎のとがった富士山を意識しつつ、叙情性豊かな風景画に。
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「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」天保5~7年
竹藪と坂道と雨足が3角形を描いている。
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「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」天保3~4年(1832~33年)頃 
「蒲原」は何度も再版され、今回展示されている山や家の背後が黒く表されているものや、先日見たミネアポリス美術館展のものは、上部が墨でぼかしを入れてある。
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ミネアポリス美術館展のもの
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「江戸近郊八景 吾妻杜夜雨」 天保8~9年(1837~38年)頃 
隅田川上流の吾妻権現社。胡粉(ごふん)を用いて、激しい雨を表現している。
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北斎よりも34歳も若い広重だが、北斎にはただならぬライバル心があったようで、葛飾北斎の「冨嶽百景」は、構図や取り合わせに重点を置いた描写に対し、広重自身の「富士見百図」は、見て写し取ったままであると強調したりしていたのだとか。

「富士見百図」安政6年(1859年)
富士山図20図を収録しているが、残念ながら広重が逝去してしまった為、初編の1冊のみで未完となってしまった。これは「駿州三保之松原」。上記の10歳で描いたテーマと同じ。
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「名所江戸百景 水道橋駿河台」安政4年(1857年)
神田川と水道橋が描かれ、遠景には富士山。
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「名所江戸百景 深川万年橋」安政4年(1857年) 
同じ万年橋でも、北斎は橋の下から、広重は橋の上から亀が見下ろす構図。「亀は万年」のしゃれも効かせている。
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北斎の冨嶽三十六景と10枚追加の全てが見られたり、広重との対比など、なかなか面白かった。


場所 : 江戸東京博物館
会期 : 4月24日〜6月20日’21


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