うろうろ散歩をすることに。
まず白金のエリカでお茶をした後(その様子は こちら)、広尾を抜けて有栖川公園へ。
有栖川公園
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正式には、有栖川宮記念公園。
江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年(明治29年)に、有栖川宮威仁親王が霞が関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となり、威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王の側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年(大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。
高松宮は1934年(昭和9年)1月5日、有栖川宮の没後20年の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325m2)を公園地として東京市に下賜。有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園。 (wikipedia より抜粋)

有栖川熾仁親王の銅像 宮家9代目の親王(1835~1895年)。
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元麻布にある東京都選定歴史的建造物である西町インターナショナルスクール本部館。旧松方正熊邸。
明治の元勲松方正義の子息である正熊と妻美代子の私邸として建てられた。1940年代以降は各国の公使館や大使館として使用され、1965年からスクールに。スクールの創立者である松方種子や駐日アメリカ大使ライシャワー夫人となる春子が育った。
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麻布十番に抜けて更科堀井でお昼をし(その様子は こちら)、芝の方面へ。
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芝公園 へ。
芝公園は増上寺を中心とした緑地帯(都立公園)であり、1873年(明治6年)の開園と、東京都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園。元々は増上寺境内の敷地を公園としていたが、戦後の政教分離の考えにより、増上寺の敷地とは独立して宗教色のない都立公園として整備された。(wikipedia より抜粋)
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クレマチス、バラ、ぼたん、ラベンダーの他、カキツバタやサツキ等が咲いていた。
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家族連れの人達などが、思い思いにのんびりと過ごしていた。
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増上寺
9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身とされ、徳川家の菩提寺となる。貝塚から一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。(wikipedia より抜粋)
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周辺の地名や駅名としても使われている旧総門の「大門(だいもん)」。
因みに、大門は大門でも、名古屋の大門は「おおもん」と言われ、徳川家康が造った遊郭がある所。そこの現在の様子は こちら
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