直島の本村地区の家プロジェクト<9>からの続き。
碁会所 須田悦弘「碁会所」2006
「碁会所」という名称は、昔、碁を打つ場所として島の人々が集まっていたことに由来。建物全体を作品空間として須田悦弘氏が手がけている。
きんざ 内藤礼 「このことを」2001
建物は築百数十年の小さな家屋。屋根や柱などの構造はそのままに伝統的な技術を使いつつ、家屋そのものが外壁も含め作品化されており、足元からの自然光で見られるしくみとなっている。
はいしゃ 大竹伸朗 「舌上夢/ボッコン覗」2006
かつて歯科医院兼住居であった建物を、大竹伸朗氏がまるごと作品化している。大竹氏の作品は、直島では、ベネッセミュージアム(その様子は<2>)で、屋外のベネッセアートサイト(その様子は<6>)で見て来たが、ここはぶっ飛んでいるなと😂
大きな吹き抜けの部分では、壁が不思議な凹凸になっている。それは、外壁側から船を嵌め込んでいるためとのこと。なるほど。
碁会所 須田悦弘「碁会所」2006
「碁会所」という名称は、昔、碁を打つ場所として島の人々が集まっていたことに由来。建物全体を作品空間として須田悦弘氏が手がけている。
内部には 速水御舟の「名樹散椿」から着想を得てつくられた作品「椿」が展示されている。23個の椿があるのだそう。
きんざ 内藤礼 「このことを」2001
建物は築百数十年の小さな家屋。屋根や柱などの構造はそのままに伝統的な技術を使いつつ、家屋そのものが外壁も含め作品化されており、足元からの自然光で見られるしくみとなっている。
内部は写真撮影不可の為、内部画像はHPより。完全予約制で、15分間ひとりだけで鑑賞するしくみなのだが、眼が暗さに慣れて来て良く良く見ると、色々な小さな物が見えて来る。中空に浮かぶ半透明の円筒や、土間に置かれたガラスのような球や白色の球、極細のキラキラ光る糸、柱のくぼみにそっと置かれた小さな球、指定された土間の頭上などにもちょっとした仕掛けもあったりする。
はいしゃ 大竹伸朗 「舌上夢/ボッコン覗」2006
かつて歯科医院兼住居であった建物を、大竹伸朗氏がまるごと作品化している。大竹氏の作品は、直島では、ベネッセミュージアム(その様子は<2>)で、屋外のベネッセアートサイト(その様子は<6>)で見て来たが、ここはぶっ飛んでいるなと😂
家のあるところは彫刻的で絵画的、そしてさまざまなものがスクラップされているなど、多様なスタイルが盛り込まれている。作品タイトルの「舌上夢」という言葉は、何かを口にしている時、味や匂いなどの感覚からたどる夢の記憶のプロセスを表現しているのだそう。
床も、壁も、、、
大きな吹き抜けの部分では、壁が不思議な凹凸になっている。それは、外壁側から船を嵌め込んでいるためとのこと。なるほど。
二階から
石橋 明治時代に製塩業で栄えていた石橋家の家屋は、2001年4月まで個人宅として使われていたもの。直島では古くから製塩業が人々の生活を支えており、直島の歴史や文化をとらえるという観点からも、家そのものの再建に重点がおかれた。
千住博 「空(くう)の庭」2009
「崖」シリーズ第一弾の作品群。着想から5年の歳月を費やして「場のもつ記憶」を空間ごとに作品化したもので、千住氏は制作にあたって、瀬戸内という場を海、陸、空から隈なく取材しスケッチ。その風景に触発され、自身が手掛けてきた主な画題 「滝」に次ぐ新たな画題として「崖」を選んだ。襖絵や床脇の天袋、掛け軸、庭も含めて「空の庭」と名付けている。
余白に思える部分が、黒ずんでいたので、???と思っていたところ・・・ 日本画の顔料には岩絵の具がよく使われるが、「崖」の背景はあえて銀泥を使って描かれ、銀が時間の経過とともに黒く変色しているのだそう。一般的にアート作品が変色することは作品の劣化として捉えられ、あまり好ましくないが、千住氏は、銀が変色していく様子を見せ続けることで、「時間の経過」を表現しようとしたとのこと。
受付の奥に飾ってあった小作品。庭の緑に合うようにと、後日、千住氏が持って来られたのだとか。
庭には、ジョウビタキのメスが遊びに来ていた。
家プロジェクトではないが、他の建物も面白い。直島町役場なのだが、いきなりポップかと。石井和紘氏が設計されたもので、直島がアートの島となる前の1983年に建てられている。飛雲閣を模した姿はとても奇抜で、80年代のポストモダン建築の代表作。車窓から見ていた為に、画像にはないのだが、直島小学校も石井和紘氏の設計で、小学校なのにとても斬新な建物だった。
直島ホール
ホール、集会所、庭園から成る、直島町の多目的施設の直島ホールも斬新。建築家・三分一博志の設計により、2015年11月に直島・本村地区に竣工。雑誌・Wallpaperが主催するDesign Awards 2017のBest new public building部門で最高賞を受賞した建物で、国内の公共建築では初の受賞。
直島の本村地域は南から北に向かって扇状地形をしている。集落は碁盤目状に区画されており、各民家が南北の続き間や縁側を備え、南から吹く風に沿ったつくりになっていて、扇の中心に棚田やため池があったことから、夏場は水面の涼しい空気が南風にのって集落に運ばれ、家の座敷を抜けて北の庭へと流れ、さらに隣家へと続いていくしくみとなっている。
その伝統に則って、ホールの屋根には、従来の入母屋造にはない風穴がある。屋根の風穴を通り抜ける風は、ホール内の空気を自然の力で循環させ、風穴の内側の形を中央に向けてすぼませることにより、空気の流れをなめらかにし、圧力の差が室内の空気を引き上げるように作られているのだそう。
その伝統に則って、ホールの屋根には、従来の入母屋造にはない風穴がある。屋根の風穴を通り抜ける風は、ホール内の空気を自然の力で循環させ、風穴の内側の形を中央に向けてすぼませることにより、空気の流れをなめらかにし、圧力の差が室内の空気を引き上げるように作られているのだそう。
集会所棟においては、利用価値の薄らいでいる井戸水の温度に着目し、夏場は地下17メートルから汲み上げられ20度以下の水を屋根に散水して建物のクーリングができるよう計画されており、かつてこの集落の生活を支えた井戸水の価値を再認識させる試みで、災害時には緊急用水ともなるのだとか。
江戸時代後期の水路が残っている。島の実力者のお屋敷跡にあるもので、当時の水路の石積み。「いっちょ台」なるものもある。「一畳台」が訛ったものとされ、夏場に隣人が集まり、夕涼みや将棋をさしたり、夕食をともにするなど、島の伝統的な生活がおくられていたのだとか。
同じく本村地区にある安藤忠雄氏の ANDO MUSEUM は<11>で。
コメント
コメント一覧 (2)
🚾は 元はスクワットだったのかなぁ・・・私だったら床に長方形の跡がわかるように描くかも
な~が nagacumatz
が
しました