ホテルの目の前に高松城址である玉藻公園があるので行ってみた。(高松城を玉藻城とも言った)
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玉藻公園
鞘橋 二の丸から本丸へ続く唯一のルートで、この橋を落とすことで本丸だけは守ることも出来るようになっていた。1640年代半ばの絵図には「らんかん橋」と呼ばれた屋根のない橋が描かれていたが、文政6年(1823年)には屋根付の橋が描かれていた。現在のものは、平成23年に修理されたもの。
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お堀の水は海水なので、時には鯛やふぐが泳いでいることもあるのだとか。

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お堀を渡るように、ことでん(高松琴平電気鉄道)が走っている。
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天守台 天正15年(1587年)に生駒親正(まさちか)が「高松」と命名し高松城の築城を開始。4代54年続いた後の寛永19年(1642年)から松平家が11代にわたって居城としていた。明治になり外堀は埋め立てられて市街化され、海に面していた城郭の北側も埋められた。天守も老朽化を理由に明治17年(1884年)に解体。
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天守台から海を見ると、男木島や女木島や豊島などが見える。
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菊花展を開催していた。
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披雲閣庭園
大正3~6年(1914~17年)に松平家12代当主が建築。江戸時代の庭園を残しながら造られた。とても綺麗に整備されている。
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高松城北之丸月見櫓(続櫓)、水手御門、渡櫓
日本三大水城にもなっているだけあって、昔は櫓の外は海だった。水手御門から船に乗り、参勤交代に行ったのだそう。月見櫓はもともと着見櫓で、瀬戸内の船の行き来を見張ることが出来た。
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披雲閣(旧松平家高松別邸)
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艮櫓(うしとらやぐら)(旧太鼓櫓跡)

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イサム・ノグチ庭園美術館 へ。受付の建物。
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唯一、この場所からだけ写真撮影可能。丸い石垣内が屋外展示と屋内展示の建物がある。約150点の作品を収蔵しており、屋外にあるものなどは未だ政策途中のものなど、完成を意味するイサム・ノグチ氏のサインが入ったものは数点しかない。が、全ての配置はイサム・ノグチ氏が決定したのだそう。ずっと遠景の山は石切場、左は今も稼働されている作業場。
石彫家の和泉正敏氏と1964年から制作されていたのだが、イサム・ノグチ氏は1988年に、そして和泉氏も昨年亡くなられた。
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屋島のふもとにあるものの、実際には庵治の石切り場から切り出された花崗岩の作品は数点しかなく、イタリアなど海外から持って来られた石材による作品が多くを占める。このまるい石垣は庵治石。
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この画像は、パンフレットを撮ったもの。
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著作権云々があるのだろうが、昨年東京都美術館に来ていた作品もあり、その時は撮影可能だったが。。。

牟礼町には、石材店などが建ち並んでいる。牟礼町と北に位置する庵治町とは、良質の花崗岩の産地。
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すぐ近くの山椒山公園に、イサム・ノグチ氏の遊具のシーソーがあるとのこと。公園の周りもさすが石の町の公園だなと。
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これまた近くに、広さ365平方メートルの多目的広場「牟礼源平広場」がこの10月に5000万円をかけて整備され、イサム・ノグチ氏の遊具が2つ設置されている。
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この後、四国村へ。その様子は追って。

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