友人達と食事をしに椿山荘に行ったので、庭を散策。(食事の様子は こちら)

南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だった。その大きな碑が建っている。(wikipedia より抜粋)
山縣有朋は1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名。山縣は椿山荘において趣味である作庭を行った。 1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。


庭園の頂上に建つ三重塔は、元々広島県賀茂郡入野(現東広島市)の竹林寺の塔であったが、大正時代に強風にあって三層目が大破してしまったものを藤田平太郎が1925年(大正14年)に譲り受けて椿山荘に移築し、三層目を復元したもので、国の登録有形文化財に登録されている。室町時代前期の1420年頃の木材が使用されている。 圓通閣とは、観世音菩薩の観音堂のこと。
般若寺式石灯篭
鎌倉時代後期作。この灯籠が原型で、奈良市の般若寺の灯籠は江戸初期の模索とのこと。
お米・麦・粟・稗・豆の五穀を断って木の実などを食する戒律を守る仏道の層である木食上人の養阿正禅(ようあしょうぜん)が旅人の為に作った丸形大水鉢。

白玉稲荷神社 大正13年(1924年)に京都下鴨神社にあった社殿を譲り受けたもの。

御神木の椎。椿山荘では一番古い樹木で樹齢500年、他朝20メートル。





コメント
コメント一覧 (2)
東京にいることを忘れさせてくれそうですねぇ・・・ というか 京都を持ってきたような
な~が nagacumatz
が
しました