道後温泉で迎えた朝。朝食から真鯛も。やはり愛媛だ。












担当してくれた若いがしっかりした女性が、可愛いお手紙を靴の所に置いておいてくれた。
道後温泉本館
道後の温泉は、日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる日本三古湯の一つ(他の2つは兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉)。道後温泉本館は、明治27年(1894年)に落成。木造3階建てで、明治32年(1899年)の又新殿の建築、大正13年(1924年)の養生湯の改築、昭和10年(1935年)の改造等を経て、今日の姿となった。大屋根の中央にギヤマンを使用した塔屋(振鷺閣)を載せ、その上には道後温泉ゆかりの白鷺が据えられ、西洋の技法を取り入れたトラス構造を用いた壮麗な三層楼となっている。日本の公衆浴場として初めて、1994年(平成6年)に国の重要文化財に指定されながら、博物館化せずに現役の公衆浴場として営業を続けている。
2019年1月から、大がかりな改装中。行った時は東側が入口となっていた。
一部は覆われているのだが、その覆いは、なんとなんと、直島などで多数の作品を見た大竹伸朗氏によるもの。テント膜「熱景 / NETSU-KEI」水・熱・光、また人や街の生み出すあらゆるエネルギーをテーマにしている。紙を指でちぎって貼り付ける「ちぎり絵」の手法と、世界各地の紙を用いてつくりあげた5枚の原画を約25倍に拡大し、ターポリン素材に高精細プリントしている。紙と紙との重なり合いや、そこから生まれた陰影、紙の切断面から覗く繊維までもが精細に拡大されている。
行った時は未だその覆いも完成していなかったので、限られた面のみしか見られなかったが、見えている面はお湯の流れを、屋根は太陽や地球を、未だ我々は見られなかった反対側の面には道後温泉のシンボルである白鷺が描かれたとのこと。
行った時は未だその覆いも完成していなかったので、限られた面のみしか見られなかったが、見えている面はお湯の流れを、屋根は太陽や地球を、未だ我々は見られなかった反対側の面には道後温泉のシンボルである白鷺が描かれたとのこと。
商店街からも見える西側は、街や地図がモチーフとなっている。
東側に描かれているのは石槌山
これは松山城の天守閣から見た屋根部分。
休憩室がある2階以上は休館しているが、1階で入浴可能。


お風呂内の画像はHPから。
この時の男性用
この時の女性用
勿論、古くからある温泉地には付きものの男性に人気のエリアもあってみたりする。
道後温泉椿の湯と、道後温泉別館の飛鳥乃湯の間にある中庭には、ちょうど10月末から24年2月末まで、蜷川実花氏の 230点の写真が設置されていた。その様子は<26>で。
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