高知市へ。
海沿いの道には、大きなザトウクジラの像があり、捕鯨の街だったこともわかる。
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驚いたのは、海沿いの道路の脇にはずらーっとお墓が並んでいること。
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桂浜へ。
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坂本龍馬像は鉄板
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はりまや橋
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やはり高知のヒーローは坂本龍馬のようで、商店街にも。
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高知城へ。
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追手門 慶長年間に創建され、寛文4年(1664年)に再建されたもの。重層で入母屋造り。欅の主柱や扉や冠木などには銅製の飾り金具が取り付けられている。
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石樋(いしどい)高知県は全国でも有数の多雨地域の為、排水が直接石垣に当たらないように石垣の上から突き出して樋が造られている。下には水受けの敷石をして地面を保護している。土佐ならではの独特の設備で、他の城郭ではない。現在本丸や三ノ丸などを含め16か所あるが、下になるほど排水量が多くなるので、この石樋が一番大きく造られているのだそう。しかし、江戸時代には実際に雨樋はなかったとか?
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杉の段 石段は上りにくく下りやすい幅なのだそう。藩主のお国入りや出駕の時には一族がここまで送迎したとか。
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詰門(つめもん)享和2年(1802年)に造られた本丸と二ノ丸の間の堀切に設けられた櫓門。廊下橋でもあり、二階部分は藩主のもとに向かう家老の待合場所だったことから、詰門と言われているのだそう。一階部分は籠城に備えるだけでなく、塩を蓄える蔵にもなっていた。入口は、東側と西側が食い違い(筋違い)になっていて、侵入した敵が容易に通り抜けられないように設計されている。
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らんまには、波と潮を吹いている鯨などが描かれている。
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物見窓 矢狭間塀(やざまべい)にある横連子の武者窓は、本丸の監視を担う窓。
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書院造 室町時代に形式が生まれ、近世に武家の住宅様式として完成したもので、個々の建物(書院)は畳敷きのいくつかの部屋の集合によって構成されている。部屋の外回りに戸が立てられ、内部は襖や明障子による間仕切りで部屋を作っている。柱は角柱で壁は張紙が貼られ障壁画によって装飾され、天井は格天井。主室の床を一段高くして上段とし、座敷飾りの位置や装飾などにより、身分と格式の序列を表現し、武家の権威を象徴する建築様式。
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武者隠し 上段の間の裏は、納戸となっていて、藩主護衛の武士が隠れていた。
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天守の型式には、初期の入母屋屋根の上に望楼を載せた望楼型天守から、徐々に五十塔のような層塔型天守とに発展していくが、この高知城の天守は望楼型天守。
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西
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