土佐山温泉で迎えた朝。
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前日の夜御飯でもTKGでちょっと驚いたが、朝もシンプルに。卵が推しとは言え、ちょっと安直過ぎないかな。
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御飯は選択でき、麦とろを依頼。
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チェックアウトし、徳島県の祖谷のかずら橋を見に。のんびりとした山間をドライブ。
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祖谷のかずら橋は、日本三奇橋の一つ。
かつては7ないし13の橋が存在したとされる。最古のものは、1646年(正保3年)の「阿波国図」にかずら橋が7つ存在したと記録され、起源は、空海が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたとか、平家の落人がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を使って架設したとの伝説もあるが定かではないとのこと。橋の長さ45m、幅2m、川からの高さ14m。3年に1度、架け替えられる。かずら橋の材料はシラクチカズラ(別名サルナシ)で、猿が好んでキウイフルーツのような果実を食べたので名付けられたとか。一度のかずら橋の架け替えには6トンのかずらが必要。橋に使える直径2cm~3cmの太さで20年~30年はかかるのだそう。
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こんな山奥なのに、とても人気で、橋を渡るために払う入場料窓口まで列が出来ていた。
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足元に隙間があるので、うっかりひっかかったら大変💦
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近くの大歩危峡(おおぼけきょう)へ。大股で歩くと危険、と言うことかららしい。
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そして同じく徳島にある美馬には、うだつの美しい町並みが残っているとのことで寄ってみることに。
うだつと言えば、岐阜の郡上八幡や、美濃市で見た。

美馬市の脇町は、吉野川北岸の主要街道の撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり、さらに吉野川に面するため舟運の利用にも適した位置にあったことから発展。脇城の城下町として成立し、藍の集散地として繁栄。明治時代頃のものを中心に江戸時代中期〜昭和時代初期の85棟の伝統的建造物が建ち並び、本瓦葺・大壁造の重厚な構えと装飾的な「うだつ」などの家並みが続く。
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格子造り(出格子) 細かい角木を縦横に間をすかして組み合わせ、窓や出入り口に取り付けたもので、道路に面した表側は出格子造り。出入り口に近い所は、太格子と呼ばれる太い角木で間を広くして店の中を見えるようにし、座敷にあたるところは細格子を隙間なく組み合わせて見えないように工夫されている。出格子は、旧商家が威勢を表す建築様式。
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蔀戸(しとみど) 社寺など建物の一番外側にはめこんでいる戸で、戸板の表と裏には格子が組まれており、上下二枚の戸になっている。上の戸は吊り下げられており、開ける時ははねあげ、下の戸は上下に出し入れが出来るようになっており、日を避けて雨風を防ぐ為に使われた。
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森家 天文年間(16世紀後半)から脇町に居住し、弘化年間(18世紀半ば)から醸造業を営んでいた。現在の建物は明治13年に建替えられたもの。
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国見家 宝永4年(1707年)に建てられ、この通りでは一番古い建物。建物の裏側にある吉野川までの敷地があり、吉野川の船着き場に出ることが出来た。
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吉田家 寛政4年(1792年)に創業した藍商。脇町でも豪商で、約600坪には5棟が建っている。
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内部を公開しているが、ちょうど生け花の展覧会が開かれていた。
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倉の中にも展示があった。
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うだつの町並みの裏側の吉野川には、今も石垣やスロープが残されている。
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昭和8年(1933年)に出来た西洋モダン風の脇町劇場なんてものもある。
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この後、一路、香川の高松へ。